2013年9月22日日曜日

まっすぐに生きる

市立図書館に本を借りに行ったら、返却期限が10月になっていて。
あと2週間で10月になるのだなあと驚くやらしみじみするやら。
まだ9月9日くらいのきぶん。

昼間は暑くても夜は羽織るものが必要になったりして、
少しずつ秋になっていくのだと感じている。
秋は、いちばん好きな季節。秋晴れの空がだいすき。


実家に帰るたびに、妹が録画してくれている「あまちゃん」を見ている。
9月3日放送分から2週間ぶんくらいまとめて見た。たくさん笑ってたくさん泣いた。
前にみたときに、アキちゃんが「生きてる限り大事じゃねえ時期なんてねえし」と言っていたのが忘れられない。

昨日は、星野源さんのMV「地獄でなぜ悪い」http://www.youtube.com/watch?v=oZE9IDY2IXM
を見て、最後の部分でまた泣いた。
今年に入ってからのいくつかの出会いとさよならといい、9月頭にやっと見た「風立ちぬ」といい、「生きる」ということを考えざるをえない。
今ここに生きているということ。

いろんなことがうまくできなくて、ああもう!と思うことはあるし、
やるべきことを後回し後回しにして、でもあれもこれもやりたいなあ、なんて口ばかりの自分が大嫌いになることもあるけど、
でもやっぱりわたしはわたしを生きていかなければいけないのだと改めて思っている。

自分にしかできないこと、をずっと考え続けてきたけれど、
それよりも、自分がやりたいことを大事にしていきたいと思うようになった。
自分にしかできないことを見つけること、何かを続けること、守ること、まっすぐに生きること。
そのどれもが、尊い。


友達が「夏が大好きで嫌い」と言っていたのを、この夏ずっと覚えていた。

いつだって始まれば終わる夏だからはじめから大好きで嫌いだ

2013年7月27日土曜日

東京タワーも見える











東京タワーのことをこんなに考えるようになったのは、スカイツリーが建てはじめられてから、かもしれない。
何度も行ったことのある思い出の場所、というわけではない。むしろ、数えるくらいしか行ったことはない。
でも、なんてことなくタイミングというものは重なるんだなあ、と思う。

5月末、森美術館に行って「LOVE展」を見てきた。
実は森美術館に行くのははじめてで、入り口がわからなくてうろうろして、オフィスビル的なところに迷い込んだりしたけれど、何とか入り口の方向を見つけて歩きはじめたところでふと、東京タワーを見つけた。
まさか見えると思っていなくて、おどろいた。でも、美術館に早く入りたかったので、一枚写真を撮って美術館へ向かった。

前に家族で東京タワーに行ったときは、たしか、知らない地下鉄の駅で降りて、東京タワーにのぼって、そのあと歩いて麻布十番に行ったような気がする。家から六本木、家から麻布十番、はiPhoneで調べてひとりで行くことができるけれど、駅の位置関係はいまだによくわからない。

美術館をじっくりゆっくり見て、外に出るともう真っ暗だった。
スタバでお茶をしてから、駅へ向かう。
その途中で、東京タワーが見える場所で立ち止まり、iPhoneで何枚も写真を撮った。

美術館へ行った日よりもっと前に、友達と会うために川崎へ行った。
土曜日の集中講義のあと、一時間だけでもいいから会いたい、と電車に飛び乗った。
毎日のように会って、くだらないことをして遊んだ友達が、新しい場所で働いたり研究したりして頑張っているのだなあと、4人で一緒にお好み焼きを食べながら思った。
そのあと、友達の家の近所の本屋さんで本を見て、車を借りてドライブをした。
はじめは工場地帯を見に行くだけの予定が、そのまま帰るのが惜しくなって、羽田空港まで行った。
夜の空港が、すきになった。
友達はいつの間にか運転がうまくなっていて、いつの間にか将来のことを決めていて、そんなふうに、ひとは変わっていくんだなあと思いながら、びゅんびゅんかわっていく景色を後部座席からながめていた。
東京駅まで送ってくれるなんて、社会人みたいだ。

高速道路を走っていると、急に、赤い、東京タワーが見えた。
写真を撮ろうとしたけれど、車からはうまく撮れない。
でも、それより、東京が近づいているということがかなしかった。
また、しばらく会えなくなる。


そんなことを思い出しながら、東京タワーの写真を撮った。今度は、ぶれない。何枚も撮る。
東京タワーが見えるような場所に、ぱっと電車に乗って来られるようになったんだなあとしみじみした。

LOVE展には、ルネ・マグリットの「恋人たち」があった。
そして今、美術館では買わなかった展示の図録が、うちにある。
友達が、職場の人からもらってきてくれた。
導かれるようにして人生は進んで行くのだと、改めて感じている。



安っぽい宝石ばらまいたみたいだ夜の工場地帯を走る

口数が少なくなってさよならが近づく 東京タワーも見える 

2013年7月17日水曜日

「もうそろそろ世界には慣れましたか?」

22歳から23歳になることを意識したとき、読んでいた本は柴崎友香『フルタイムライフ』(河出文庫)だった。
一時期、あまり本を買わないようにしていたのだけれど、文庫の表紙が今日マチ子さんだったこと、文庫の解説が、山崎ナオコーラさんだったこと、柴崎さんの名前を俳句関係の雑誌で見たことがあったこと(確認したら東京マッハメンバーの「ジョジョ句会」でした)など、いろんなことが重なって、買ったことを覚えている。
山崎ナオコーラさんの解説の題名が、「もうそろそろ世界には慣れましたか?」だった。

偶然にも、主人公は新入社員なので、22歳から23歳になるところ。
関西の言葉の感じが、とても心地よかった。
何ヶ月か前に買ったこの本を、誕生日近くになって読み返して、ああ出会ってよかったなあと改めて思ったりしている。


わたしは今、ふしぎな時間を生きている。
高校に入って、大学に入って、大学を卒業したら先生になって、と、ずっと思ってきた。小学生のころからずっと。今、大学を卒業したけれど、先生にはなっていない。まだ、学生をしている。

大学に入ったころは、大学院に進むことや、ひとり暮らしをすることや、お酒って楽しいってことは、全然考えていなかった。23歳は、先生をしていると思っていたから、今とてもふしぎな気分だ。特に、大学の同期の仲良しの子が働きはじめて、社会人になっているのを見てるから、余計にそう思うのかもしれない。
これから、わたしはどうやって暮らしていくんだろう。

大学院の指導教官の先生が、ゼミで、
「今自分が大事にしているものや価値観は、自分ひとりで獲得してきたわけではないはず」
と言っていて、本当にそうだと思った。

勉強するときのテキストの位置や、人は急に変われないんだということや、正義感をふりかざすことは必ずしも正しいとは言えないだろうということ、書くことは楽しいということ、あえてずらして考えてみる余裕をもつこと。
そういうことを、教えてくれたひとのことを思い出す。


ひとり暮らしをするようになって、家でやっていたことをたくさん思い出す。
お米をといだら少し水にひたしておいたほうがおいしくなるとか、
洗濯ものは干すときにたたくと乾いてしわにならないとか、
そういうことぜんぶ、わたしひとりで身につけたものではないんだなあ、と思う。
心からありがとう!とまだ言えるわけではないけれど、そうやって見についてきたということは、自覚していい気がする。
自覚できる、ときが来たのと思う。ひとり暮らしをはじめてよかった。


いろいろな人との関わりの中で、わたしはわたしになってきたのだなあ、と感じている。
23歳のあいだに、どんな人と出会うだろう。
昨日と今日はつながっている。
でも、いつも新しいものを見つけてわくわくしていたい。

2013年7月14日日曜日

タオルケットを押入から出す

畳の部屋で、クーラーをかけている。
夏になると、ベッドではなくて布団で寝るようになるのはもう何年も続いている習慣。

昼間のことが、嘘だったんじゃないかと思っている、今。
頑張ったと胸をはって言えるかというと、どうもそんなわけにはいかない。
それは、自分が一番よくわかっている。

結果はともかく、また、ここからスタートするしかないのだ。
すべてはここから。


最近、暮らすということにとても興味がある。
食べる、寝る、掃除する、洗う、片づける、ごろごろする、選ぶ。
少しずつ、いろんなことが変わっていくんだと思う。
自分にしかわからないことが、増えたり減ったりするのがおもしろい。
誰かと暮らしてみたい、とはあまり思わないけど、誰かの暮らしに飛びこんでみたいとは思う。


明日はたぶん、ふつうの一日、でも気持ち次第で特別な一日になる気がする。


2013年6月7日金曜日

変わらないと思っていたのだ、たぶん

パソコンを修理に出してしまったので、家の机はがらんとしている。
大学に入ったときに、買ってもらったパソコン。丸四年使って、画面がだめになってしまった。
重いから、せっかくだしもっと軽くて持ち運びやすいやつに買い換えたいなあと思って電気屋さんに行ったけど、パソコンって高いのね。
ネットで見てもよくわからないからお店に行ってみたけれど、行っただけでなんだか疲れてしまった。
とりあえず、直るかわからないけれど、修理に出すことにした。
壊れたままのパソコンが部屋にあるときは、何で壊れちゃったの!課題できないよ!もう!という気持ちでいたけれど、今は、無いから何とかしよう、という気持ちで過ごしている。

キーボードをたたいているとふしぎなもので、頭でうんうん考えることなしに、指が動いていく気がする。
デスクトップのキーボードは、厚みがあるからどうしてもミスタイプが多くなって、それもまた、なお。



どうでもいいことが書きたくて、でもそれはうまくいかない。
わたしは、言葉を信じきっていたのだなあ、と思う。
言葉は誰かの心に響くと思っていたし、誰かを動かせるかもしれないとも思っていた。
その誰か、は、書く前の瞬間の自分かもしれないし、将来の自分かもしれないし、別の誰かかもしれない。
今もその気持ちは変わらない。
でも、今の自分の言葉は、ぽわんとしている。
ふわふわ浮かんで、自分にはね返ってくることもなくて、ただ消えていってしまう気がする。

それは、名づけることのできない、どうしようもない気持ちに、支配されているからかもしれない。
支配、なんてつよい言葉をつかってしまうくらいに。


誰かに話したいと思いながらも、土足でずかずか踏み込まれることがいちばん嫌だ。
自分が傷つかないように、とても慎重に、何事もなかったふりをする。している、つもり。
だから、今なら大丈夫、と思ったら、ばーんと全体重を預けて飛び込んでしまう。
ごめんね、ありがとう。


変わらないと思っていたのだ、たぶん。
いつかはそうなるってどこかでわかっていたけれど、こんなに早いと思わなかった。
どうしてどうして、と考えることもある。考えてばかりいる。それは何の役にも立たないってことも知っている。
でも、だからといって、なかったことにはできない。
役に立つとか利益とか、そういう問題じゃない。実際に計れないものなんて、いくらだってあるのだ。
今ここにある、ということ。たしかにそこにあった、ということ。それを大事にする。守る。


今は、とにかく、毎日きちんと食べて、きちんと眠って、日々を過ごしていくこと。
自分の気持ちがわからなくなるまで、嘘を重ねないこと。
たまに散歩をして、ああ今日もいい天気だな、と思う感覚を忘れないこと。


それから、それから。

2013年5月23日木曜日

目的地まであと十五分 

目的地まであと十五分

地下鉄がすきです 電波が入らないこととかホームのタイルの目とか
中指のささくれをむしる血がにじむ痛かったなら生きてる証拠
もう君に会うことのないスカートはクリーニングに出してきました
思い出を受けとめすぎたせいでしょう 黄色い傘は折れてしまった
会えなくてさびしい 会ったあともっとさびしいなんて知らなかったの


『うたつかい』2月号に出した五首です。
『うたつかい』( http://www.utatsukai.com/ )とは、「twitterで短歌を詠む、twitter歌人さんの作品中心のzine。」です。(『うたつかい』webより引用)2011年9月創刊。

実は、うたつかいに投稿したのはこれが初めてです。
いつも読んでいる冊子に自分の短歌が載っているのは、ふしぎな気持ち。
最近twitterで感想を書いていただいたのが、すごくうれしかったです。


いろんなことを考えてしまって、ぜんぶ投げ出してしまいたいときもあるけれど、やっぱり、短歌すきだなあ、と思う今日このごろです。

2013年4月19日金曜日

グレーよりもグレー

昔、ケンタッキーは、おばさんが家に遊びに来るときに買ってくるときしか、食べられなかった。
家族はみんな喜んだけど、わたしは骨つきのチキンが苦手で、いつもじょうずに食べられなかった。
今は、170円という値段で骨なしのチキンが買えて、すきなときに食べられる。


お気に入りのグレーのジャケットがないことに気づいたのは電車の中で、もうすぐで目的地、時間はぎりぎりのところだった。すぐに引き返すこともできなかったので、ぐるぐると記憶をたどり、たぶん本屋に寄ったときに落としたんだろう、というところまでは推測した。
大きなショッピングセンターの中の本屋さんは、通学定期があるときは本当によく寄っていた。大きな本屋さんに行くと、いつだってわくわくする。
ショッピングセンターのインフォメーションセンターに電話をして、忘れ物が届いていないか聞く。
忘れ物の特徴を聞かれ、グレーのジャケットで、ボタンがたくさんついている、ということしか言えなかった。
まだ届いていないようで、見つかったら電話をすると言われた。

そのジャケットは、はずかしいくらい全然高価なものではなくて、何年か前に、地元のお店のセールで売れ残っていたものだ。
色違いのベージュと迷っていたら母親に、春だから明るい色のほうがいい、と言われて、ベージュのほうを買った。
でも、どうしても忘れられなくて、後日、グレーのほうも買いに行ったのだ。
(両方買えるくらい、本当に安かった。たぶん元値の半額以下で売っていたんだと思う)
それ以来、ワンピースのときもデニムのときも、本当によく着ている。

本屋に行くとき、わたしは大きなボストンバッグとショルダーバッグを持っていた。少し歩くと暑くなって、ぬいだジャケットをボストンバッグにひょいと乗せて歩いてしまったのだ。
ああ、戻って来なかったらどうしようどうしよう、あんなにすきだったのに。
でも、自分の不注意が原因だから誰も責められず、とてもかなしかった。電話もない。

ショッピングセンターの最寄りの駅にも何回も電話して、警察署のホームページも検索して、それでも見つからなかった。もう無いかもしれないな、と思ったけれど、どうしてもあきらめられなくて、もう一度ショッピングセンターに電話した。
そうしたら。
あったのだ。やはり本屋に落ちていたそうで、ショッピングセンターで預かってくれていた。
取りに来るのは後日でもかまわない、と言われたけれど、わたしはすぐに取りに行くことにした。
片道一時間以上かけて、グレーのジャケットに会いに行った。
見つかって安心したらお腹がすいて、ケンタッキーを一つ買って食べた。


無かったらどうしよう、と思っていたけれど、心のどこかではきっと見つかると思っていたのだと、あとから気づいた。見つかるところしか、イメージできなかったのだ。
もちろん、自分のいいように解釈しているといえばそうなのだけど、なるべくしてなった結果のような気がする。
具体的にイメージできることは実現する、と指導教員の先生はよく言うけれど、本当にそうだと思う。

決して、時間があるとは言えないこの時期に、わたしは何をやっているんだろうとも思うけれど、こだわってよかったな。見つかってよかった。
今、グレーのジャケットは、わたしの部屋のハンガーにかけられて、おとなしくしている。