2013年7月27日土曜日

東京タワーも見える











東京タワーのことをこんなに考えるようになったのは、スカイツリーが建てはじめられてから、かもしれない。
何度も行ったことのある思い出の場所、というわけではない。むしろ、数えるくらいしか行ったことはない。
でも、なんてことなくタイミングというものは重なるんだなあ、と思う。

5月末、森美術館に行って「LOVE展」を見てきた。
実は森美術館に行くのははじめてで、入り口がわからなくてうろうろして、オフィスビル的なところに迷い込んだりしたけれど、何とか入り口の方向を見つけて歩きはじめたところでふと、東京タワーを見つけた。
まさか見えると思っていなくて、おどろいた。でも、美術館に早く入りたかったので、一枚写真を撮って美術館へ向かった。

前に家族で東京タワーに行ったときは、たしか、知らない地下鉄の駅で降りて、東京タワーにのぼって、そのあと歩いて麻布十番に行ったような気がする。家から六本木、家から麻布十番、はiPhoneで調べてひとりで行くことができるけれど、駅の位置関係はいまだによくわからない。

美術館をじっくりゆっくり見て、外に出るともう真っ暗だった。
スタバでお茶をしてから、駅へ向かう。
その途中で、東京タワーが見える場所で立ち止まり、iPhoneで何枚も写真を撮った。

美術館へ行った日よりもっと前に、友達と会うために川崎へ行った。
土曜日の集中講義のあと、一時間だけでもいいから会いたい、と電車に飛び乗った。
毎日のように会って、くだらないことをして遊んだ友達が、新しい場所で働いたり研究したりして頑張っているのだなあと、4人で一緒にお好み焼きを食べながら思った。
そのあと、友達の家の近所の本屋さんで本を見て、車を借りてドライブをした。
はじめは工場地帯を見に行くだけの予定が、そのまま帰るのが惜しくなって、羽田空港まで行った。
夜の空港が、すきになった。
友達はいつの間にか運転がうまくなっていて、いつの間にか将来のことを決めていて、そんなふうに、ひとは変わっていくんだなあと思いながら、びゅんびゅんかわっていく景色を後部座席からながめていた。
東京駅まで送ってくれるなんて、社会人みたいだ。

高速道路を走っていると、急に、赤い、東京タワーが見えた。
写真を撮ろうとしたけれど、車からはうまく撮れない。
でも、それより、東京が近づいているということがかなしかった。
また、しばらく会えなくなる。


そんなことを思い出しながら、東京タワーの写真を撮った。今度は、ぶれない。何枚も撮る。
東京タワーが見えるような場所に、ぱっと電車に乗って来られるようになったんだなあとしみじみした。

LOVE展には、ルネ・マグリットの「恋人たち」があった。
そして今、美術館では買わなかった展示の図録が、うちにある。
友達が、職場の人からもらってきてくれた。
導かれるようにして人生は進んで行くのだと、改めて感じている。



安っぽい宝石ばらまいたみたいだ夜の工場地帯を走る

口数が少なくなってさよならが近づく 東京タワーも見える 

2013年7月17日水曜日

「もうそろそろ世界には慣れましたか?」

22歳から23歳になることを意識したとき、読んでいた本は柴崎友香『フルタイムライフ』(河出文庫)だった。
一時期、あまり本を買わないようにしていたのだけれど、文庫の表紙が今日マチ子さんだったこと、文庫の解説が、山崎ナオコーラさんだったこと、柴崎さんの名前を俳句関係の雑誌で見たことがあったこと(確認したら東京マッハメンバーの「ジョジョ句会」でした)など、いろんなことが重なって、買ったことを覚えている。
山崎ナオコーラさんの解説の題名が、「もうそろそろ世界には慣れましたか?」だった。

偶然にも、主人公は新入社員なので、22歳から23歳になるところ。
関西の言葉の感じが、とても心地よかった。
何ヶ月か前に買ったこの本を、誕生日近くになって読み返して、ああ出会ってよかったなあと改めて思ったりしている。


わたしは今、ふしぎな時間を生きている。
高校に入って、大学に入って、大学を卒業したら先生になって、と、ずっと思ってきた。小学生のころからずっと。今、大学を卒業したけれど、先生にはなっていない。まだ、学生をしている。

大学に入ったころは、大学院に進むことや、ひとり暮らしをすることや、お酒って楽しいってことは、全然考えていなかった。23歳は、先生をしていると思っていたから、今とてもふしぎな気分だ。特に、大学の同期の仲良しの子が働きはじめて、社会人になっているのを見てるから、余計にそう思うのかもしれない。
これから、わたしはどうやって暮らしていくんだろう。

大学院の指導教官の先生が、ゼミで、
「今自分が大事にしているものや価値観は、自分ひとりで獲得してきたわけではないはず」
と言っていて、本当にそうだと思った。

勉強するときのテキストの位置や、人は急に変われないんだということや、正義感をふりかざすことは必ずしも正しいとは言えないだろうということ、書くことは楽しいということ、あえてずらして考えてみる余裕をもつこと。
そういうことを、教えてくれたひとのことを思い出す。


ひとり暮らしをするようになって、家でやっていたことをたくさん思い出す。
お米をといだら少し水にひたしておいたほうがおいしくなるとか、
洗濯ものは干すときにたたくと乾いてしわにならないとか、
そういうことぜんぶ、わたしひとりで身につけたものではないんだなあ、と思う。
心からありがとう!とまだ言えるわけではないけれど、そうやって見についてきたということは、自覚していい気がする。
自覚できる、ときが来たのと思う。ひとり暮らしをはじめてよかった。


いろいろな人との関わりの中で、わたしはわたしになってきたのだなあ、と感じている。
23歳のあいだに、どんな人と出会うだろう。
昨日と今日はつながっている。
でも、いつも新しいものを見つけてわくわくしていたい。

2013年7月14日日曜日

タオルケットを押入から出す

畳の部屋で、クーラーをかけている。
夏になると、ベッドではなくて布団で寝るようになるのはもう何年も続いている習慣。

昼間のことが、嘘だったんじゃないかと思っている、今。
頑張ったと胸をはって言えるかというと、どうもそんなわけにはいかない。
それは、自分が一番よくわかっている。

結果はともかく、また、ここからスタートするしかないのだ。
すべてはここから。


最近、暮らすということにとても興味がある。
食べる、寝る、掃除する、洗う、片づける、ごろごろする、選ぶ。
少しずつ、いろんなことが変わっていくんだと思う。
自分にしかわからないことが、増えたり減ったりするのがおもしろい。
誰かと暮らしてみたい、とはあまり思わないけど、誰かの暮らしに飛びこんでみたいとは思う。


明日はたぶん、ふつうの一日、でも気持ち次第で特別な一日になる気がする。