2015年4月12日日曜日

めちゃくちゃハッピーな人生ではないけれどそれもまた


いつの間にか社会人になった。

休日もちょこちょこ仕事関係の作業をしていて、「仕事が趣味」みたいになっている。ちょっと待てよ、趣味は自分がすきなこと、ということは仕事が趣味というのはめちゃくちゃハッピーな人生なのでは!と一瞬思ったけどたぶんそうじゃない。

でも、平日にはやりたくてもできない仕事を休日にしているのが、今はなんか、ふつうだ。
そうすることで、わたしはわたしの見たいものへと少しでも近づいてゆく。
もちろん、ずうっとこのままではない。まだはじまったばかりだからね。今はね。
こころもからだも気持ちいい!という感覚を忘れずに、日々を暮らしてゆきたい。

わたしの歌をうたおう


短歌をめぐるコミュニケーションはすなわち、思いをこめたことばをやりとりするコミュニケーションである。

さよならをあなたの声で聞きたくてあなたと出会う必要がある
(枡野浩一『歌  ロングロングショートソングロング』雷鳥社)

この歌は、書かれてはいないが〈わたし〉という主人公のいる歌だ。
「さよならをあなたの声で聞きた」いのは〈わたし〉で、〈あなた〉への思いをこめた歌である。この歌は〈わたし〉から〈あなた〉への歌であると同時に、〈あなた〉と出会うことができた過去の〈わたし〉への、そしていつか〈あなた〉と別れるであろう〈わたし〉への歌でもある。
実際に〈あなた〉へこの歌が手わたされることもあるだろうし、そうでないこともあるだろう。しかし短歌をつくった時点でこの歌は〈わたし〉から、〈わたし〉のなかの〈あなた〉に手わたされるし、〈わたし〉から〈わたし〉へとわたされる。そして何より、この歌を読むことによって〈わたし〉から、読み手であるわたしにも手わたされる。
わたしは誰かと離ればなれになって悲しくてたまらないとき、この歌を思い出す。そして、どんなことになっても、わたしがあなたと出会ったことに意味はあったのだ、たしかにあったのだと、こころにたしかめている。
短歌という詩型にことばを注ぐことによって、思いを保存し、誰かに、そして未来へと手わたすことができるのだ。このようにして短歌を手わたしたいし、手わたし合う場をつくりだしていきたい。



研究のひとつの着地点として、どうしても書きたかった。読んでもらえて、よかった。