2014年12月9日火曜日

最近のこと(2014.12)

・石田波郷賞落選展に参加しています
「週刊俳句」でおこなわれている石田波郷賞落選展に参加しています。
賞に応募した連作20句を、webで読むことができます。今回入賞はできませんでしたが、秀逸十句選に三句とっていただきました。

鉛筆を削るにほひや夏座敷 (甲斐由起子 選)
まとふ身にセーターが合ふやうになり (岸本尚毅 選)
ハンカチの刺繍うらがはよりなぞる (齋藤朝比古 選)

それから、一緒にハキョトク(波郷賞特訓)をしていた、れなりん(今泉礼奈ちゃん)が奨励賞を受賞したことが、自分のことのようにうれしかった。おめでとう!
ハキョトクメンバーのみんな、文香さん、ありがとうございました。たのしかったです。

泉かなえ「花束」(2014石田波郷賞落選展)
http://weekly-haiku.blogspot.jp/


・「いつも通りのカーディガン」フリーペーパー発行しました


黒井いづみちゃんとの短歌ユニット「いつも通りのカーディガン」でフリーペーパーをつくりました。
いづみちゃんは、同い年・名前が似ている・初対面のとき二人とも黒髪ボブ&ボーダーの服(周りのひとを混乱させた)・合唱経験者・中学から短歌をやっている・来年4月からは職業も同じ、などなど共通点を挙げたらきりがありません。
そんなわたしたちは昨年末に短歌ユニットを組みました。紅白短歌合戦'13のあと、はじめての活動がこのフリーペーパーです。
「めくるめく贅沢」というテーマに合わせて、それぞれ短歌5首と短い文章を書いています。
先日の文学フリマで配布しましたが、まだすこし残部がありますので、もし読んでくださる方がいらっしゃいましたらご連絡ください。お送りいたします。

 カーディガンのあなたが帰り半袖のあなたがやって来て夏になる  (黒井いづみ)
 すっぽりと包まれて聞く心臓のリズムがいつも通りでずるい (泉かなえ)


・屋根裏句会はじめました
わけあって、屋根裏句会という句会を千葉で月に一回開催しています。今月で5回目。
基本的に、俳句はじめて!句会はじめて!という方ばかりの句会です。
毎回10人前後で、俳句についてわいわい話しています。
わたしは今月欠席予定ですが、来年1月から3月までは毎回出席しますので、もし俳句に興味がある・句会を見てみたい(見学でもだいじょうぶです)という方はぜひご連絡ください。
屋根裏みたいなお店で、ぜひ句会しましょう。


毎日寒くて寒くて逃げ出しそうになるけれど、こんな日がいつかなつかしくなるのだろうと思わずにはいられない。
最近はチャイばかり飲んでいます。

2014年11月22日土曜日

インフルエンザの予防接種を受けに病院へ行き、体温を測ったらなんと熱があった。当然予防接種は受けられず、念のため診察を受ける。風邪の症状はないので、疲れがたまっているのだろう、との診断。一時的に体温が上がっただけかもしれないし、風邪のひきはじめかもしれない、とのことで、処方薬をもらって帰る。元気なのかそうじゃないのか、自分でもよくわからない。でも、くるりを聞いて、心のなかにある手の、ゆびの、先のほう、が、じわりとやわらかくてあたたかいものにふれたような感覚になるので、たぶん弱っているんだと思う。こういうとき、どうしたらいいのかわからない。寒いとさびしいはまちがえやすい。そう思うと、昨年の今ごろは、いろんな人に救われていたのだと思い返す。疲れ果てて電車に乗ったとき何気なく連絡してご飯を食べに行ける人がいるとか、夜中に一人暮らしのアパートでどうしようもなくさびしくて眠れなくなったときに電話ができる人がいるとか、そういうの、ほんと大事だったんだな。ポカリが、喉の奥のほうで苦くなる。
お菓子の袋は、細長く折りたたんでしばる。カルディでインスタントのチャイを買った。半分くらいまではおいしいのに、最後のほうになるとそのおいしかった気持ちが信じられなくなる。冷めるから?
こんなふうに書いてはいるけれど、楽しいことがないわけではなく、これからも楽しみな予定はいくつもある、けど、それとは全然関係なく、自分の気持ちはふらふらと体育館の床の白いラインを踏んだり踏まなかったりしながら歩いているみたいだ。今も何色が何の競技のラインなのかわからないよ。今夜は写真集をぱらぱらとめくって寝ます。明日から忙しい。

2014年10月11日土曜日

一人旅というほどでもなく

盛岡に行ってきました。研究の諸々で。

岩手に行くのは二回目。前回は岩手にいる友人に会いに行ったのですが、そのときは、夜岩手着、翌日夕方東京へ、という弾丸ツアーでした。
今回は二泊三日。そのうち、半日オフがあったので、市内散策してみました。

ランチを食べた喫茶店。雰囲気がとてもよかった。たぶん近所に住んでいるのであろうおじちゃんおばちゃんが来ているところもいい。ホットサンドがおいしかったです。


歩いていて見つけた郵便局。蔦がすごい。
ご当地切手みたいなものがほしかったけれど、これ!というものがなくて買いませんでした。


市内の観光マップを見たらレンタサイクルがあることがわかり、自転車を借りて市内を走ることにしました。

まずは盛岡城跡公園へ。石川啄木の歌の碑を見ました。
碑はけっこう高いところにあって、上り坂がつらい。
公園内の広場にあるブランコで女子高生が二人おしゃべりをしていました。ゆるやかな時間。

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心 (石川啄木)
正直に言うと、この歌はそんなに思い入れがあるわけじゃなかったけど、いつか学校で教えることもあるだろう、ってくらいの気持ちで行ったわけです。
そしたら、台風のあとの空がすごかった。

城跡から見た景色。
碑のある、高台になっているところから空を見たあと、すこし下ってからまた空を見たのですが、やっぱり、高いところから見る空のほうが迫力がある。
空をながめていたら自然と啄木の短歌を口に出していました。
啄木がほんとうにこの場所から空を見ていたのかはわからないし、当たり前ですがこの日の空は見ていない。
でもこの空を見て、「空に吸はれし」ってこういうことだなあ、と思わせた啄木の短歌はちょっとすごいと思いました。見直した。


つい気になってしまう石垣。

城跡公園のあとは、もりおか歴史文化館をすこし見て、
岩手銀行旧本店本館の前を通って(工事中で外観が見られず、残念)
もりおか啄木・賢治青春館へ行き、
岩手県庁の脇を通って、材木町のほうへ。賢治の像を見たりしました。
知らないまちを自転車で走るのもけっこうたのしい。歩くよりも遠くまで行ける。



なぜか啄木の新婚の家にも行きました。
「啄木新婚の家口」っていうバス停があって、笑ってしまったのはひみつ。

市内には、宮澤賢治関連のものも多くありました。二人は同じ学校出身で、啄木が10歳上らしいのですが、かなり影響を受けていたらしいということが記念館に行ってわかりました。

それから、古書店をちょこっとのぞいたのですが、やっぱり啄木や賢治の本が多かったです。
今回は買うのを見送ったけれど、やっぱり自分で見に来ないとわからないことってたくさんあるな、と思いました。



そしてなんと来週も岩手へ行く予定です。新幹線に乗るのが得意になる。

2014年9月19日金曜日

胃はからだの真ん中にあるからね

秋だ。
ここ数日、朝どうにも起きられず、というか薄い夢がずっとはりついている感じで。
今日お昼ご飯に食べたコンビニ焼きうどんは、びっくりするほどおいしくなかった。ゴムを食べているみたいだった。前はそんなことなかったのに。
食べたいものがわからなくて仕方なく買ったことが、うどんにばれてしまったのかもしれない、なんてどうしようもないことを思いながら、食べた。すこし残した。
昨年の手帳を見返したら、やっぱりこの時期体調がわるいというか、気分がうまくコントロールできていなかった。浮き沈みがはげしい。
調子がいいと思っても、一瞬で沈む。ざばーん。

なんとしたいと思って、だれかとご飯を食べたり、湯船にきちんとつかったり、ミルクティーをていねいに作ったりする。ミルクティーはおいしく淹れるということではなく(いやおいしいのだけれど、そこは第一目的ではない)きちんと火をとおして冷めないようにするというていねいさ。
秋はいちばんすきな季節だけど、この季節の変わり目は、思った以上につらい。あまり意識していないから、余計に困る。
体温や食生活といった、基本的な生活が、こころにこんな影響するなんて。
いや、わりとそういうところがあるとは思っていたけれど、ここ数日はひどくてびっくりする。
実家にいるときは、いくら食べたくないと言っても親に聞いてもらえず、無理やりにでも食事をしていたけれど、それくらいでちょうどよかったのかもしれない、と思うなど。

友だちと会うと、とても元気になるし楽しい。
でも、ひとりでがんばらなくてはけないことがいくつか。というか、むしろそれがすべて、いやすべてとまでは言わないけれど、いちばん大きな部分を占める、というような時期。今。
だから、ぐるんぐるんしながらパソコンにむかって、論文を書いて、おいしいものを食べて、あったかくして、それで、本を読んで、泣きたくなったら泣いて、泣くのに疲れたら友だちが教えてくれたおもしろい動画を見て、過ごす。


なんだかとってもたいへんな人の日記みたいになってしまったけれど、
数週間後、または来年のわたしがこれを読んで、
ああやっぱりこの時期はこうなるよね、って思えれば、いいなって。ほんと、それだけです。

2014年6月30日月曜日

【展示やります】「一秒前のひかり」




「一秒前のひかり」  
写真×短歌×俳句
2014.07.03(木)〜07.05(土)
18:00〜24:00(ラストオーダー)
西千葉「呼吸」Twitter@kokyu_japan  2階 6畳ギャラリーにて
(JR西千葉駅徒歩7分/千葉県千葉市稲毛区緑町1-16-15 山崎店舗2号)
入場無料

写真、短歌、俳句の展示です。
4日(金),5日(土)両日19時から俳句ワークショップもやります。
(その時間も展示はご覧いただけます)
「呼吸」1階でドリンクやフードのオーダーもできます。

はじめての展示です。緊張しています。今もずっと。
ぜひふらりと遊びに来てください。
夏の夜にお会いしましょう。



いつだって始まれば終わる夏だからはじめから大好きで嫌いだ

すきと嫌いの差はほんの少しで、小さなきっかけでひゅっとひっくり返ってしまうような気がする。
夏は、好きだけど嫌い。嫌いだけど、夏は楽しみだ。



泉かなえ

2014年6月1日日曜日

竹尾ペーパーショウ2014「SUBTLE」


竹尾ペーパーショウ2014「SUBTLE」に行ってきました。






















もともと紙がすきなこと、
原研哉さんの著書をいくつか読んでいたこと、
竹尾で働いているAさんやYさんの告知、などなど。
いろいろなことが重なって、これは行かねば!と、会期前から楽しみにしていました。

「紙の花」 三澤遥
とてもすきな作品のひとつ

「タグやラベルを描く」ハム・ジナ
これ、ぜんぶ手でかいてあるそうです

ひとつひとつの作品を、じっくり見る。ぜんぶ紙、紙、紙だ。
「SUBTLE かすかな、ほんのわずかの」というテーマが、
何かを制限するということではなくて、とても心地よい。

ふだんは気にもとめない小さなことや、ともすればむだなものに見えること、
それに意味づけていくような。新たな意味が生まれるような。
たとえば紙ナプキン。いくつかの種類が並べてあって、その手触りの違いのことを思う。
たとえば豆本。どこまでが本という物体なのか、もうわからない。石川啄木『悲しき玩具』の豆本があった。
たとえば「開封する」(ティッシュペーパーの箱の上のミシン目、スナック菓子の開封口のびりびりするところ、など。形を見ただけでわかる)




上田義彦さんの「紙の肖像」という写真たちもすごくすてきでした。
いろいろな紙を撮った写真を、同じ紙にプリントアウトしてある。
それなのに、紙の質感がとてもよくわかる。指先にふれた時の感覚を思い出す。


作品に触ることはできないけれど、
作品に使われた紙のサンプルが入場時にもらえるので、それを触りながら見て回ることができる。
目よりも皮膚のほうが、素直な気がする。

「チョコレートの帽子」 原研哉
微生物みたいなのにこのタイトル、やられた

原さんの考えていること、やろうとしていることは、とても自然な形で自分のなかに入ってくる、ような気がする。
というよりも、原さんが、自分の考えていることや感じていることをどうやったら相手に伝わるか、ということを考えぬいているのだとも思う。


「包む」
こういう、小さいものがたくさん集まっていることにときめく


「いつくしむ」
すごく気になって、何度も見た
(なんと、作った方とお話ができた。もっといろいろ聞けばよかった)

書籍『SUBTLE サトル|かすかな、ほんのわずかの』も買った。
写真をながめて、文章を読んで。
それから、ページをめくるときの気持ちよさ。指先の皮膚が喜んでいる気がする。





いろんなことを考えることはもちろん大事で、考えぬくことも大事で。
でも、理由はわからないけどすきだ!と思う気持ちや、
からだが喜んでいるという感覚や、
うまく言葉にできないもやもやも、
ここにある、たしかにここにある、そのことも大事にしていこうと改めて感じました。

ペーパーショウのこと、もう一回くらいブログに書くかもしれない。


いただいた紙見本 




会期は明日まで。もう一度行きたい。
特設サイトもとてもすてきなので、ぜひ。


---------------------------
紙の展覧会|竹尾ペーパーショウ 2014「SUBTLE」
http://www.takeopapershow.com/

会期 2014年5月25日 |日| —6月1日 |日| 11:00 — 20:00(入場は19:30まで)
会場 TOLOT/heuristic SHINONOME(トロット/ヒューリスティック東雲)
    東京都江東区東雲2-9-13 2F りんかい線東雲駅 A出口から徒歩5分(Google Map)
主催 株式会社 竹尾
企画・構成  原 研哉+株式会社日本デザインセンター原デザイン研究所

2014年5月11日日曜日

ポカリスエットが喉にしみる

ひとり暮らしをはじめて一年ちょっと。
はじめて風邪をひいている。

偏頭痛や腹痛は定期的にやって来るので慣れている(どうしたらいいのかわかりきっている)けど、風邪はすごく久しぶりだ。


2012年1月。まだ実家暮らしだったころ。
12月に卒論を出して、よーしこれから書道の卒業制作の追い込みだ!と思っていたところで、ノロウイルスにかかって一週間寝込む。
その翌週、なんか頭が痛いから病院に行ってから学校行くね、と親に言って自分で運転して病院に行ったら、インフルエンザだった。計ってみたら熱が38度あった。また一週間寝込む。
おかげでわたしの2012年の1月は2週間くらいしかなかった。

それから、体調第一!を自分に言い聞かせてきた。
少しでも体調が変だったら、早めに休む。自分を甘やかす。


気をつけていたつもりだったけど、気温の変化に体がうまくついていかず、体調をくずしてしまった。
一昨日くらいから鼻水と喉の痛み。気のせいだと思うようにしていたけど、気のせいじゃなかった。
とりあえずポカリを買い込む。
市販の風邪薬は買ったことがなくてどれがいいのかわからず(いつもわりとすぐ病院に行く)以前友だちが買っていたものと同じものを買う。ほかのものより少し安かった。
ご飯がちっともおいしくない。
うどんやヨーグルトなどを食べて、薬を飲み、のど飴をなめて過ごす。

自分が元気なのか何なのか、よくわからない。
人と会っているときは元気な気もする。体調に波がある。
昨日に比べるとだいぶよくなったけど、夜になるとまたすこしつらい。
早めにベッドにもぐりこんで本を読んだ。枕元にポカリを二本。
暑いのか寒いのかよくわからなくて、うまくねむれない。
ひとりでいると、ついさみしくなってしまう。



月曜日には、ぱっと元気になっているといいな。

2014年4月9日水曜日

作りものの指輪

先生から海外土産のチョコレートをいただいた。
中にお酒が入っていて、とてもおいしい。
先に食べ終えた友だちが、包み紙で指輪を作っていた。
わたしも真似をして作った。

予想以上にうまくできたので、その指輪を小指につけたまま学内を歩いた。
包み紙がやわらかかったからか、指にきっちりはまる。
あ、今度買い物に行ったら指輪を買おう、と思う。



エネルギーをうまく使えていないな、と最近思っていたけれど、
友だちに会って先輩に会って、たくさん笑った。そんな一日。

2014年4月6日日曜日

一人掛けのソファーと小さな机

家にいると作業が進まず、大学の図書館は休館日のため、
スタバへ行くことにした。
国道沿いにあるスタバ。自転車で行ったことはないけれど(近くを通ったことはある)たぶん15分くらいで着くだろう。荷物をまとめる。
外に出ると雨の気配。まだ降っていないものの、たぶん降る。
傘を持って自転車で出かけた

案の定、途中で雨が降ってくる。ビニール傘を広げてみるも、風がつよすぎて結局たたんだ。
すれ違ったおじいちゃんに「傘さしながら自転車に乗るんじゃねえ!」と怒られないかびくびくした。何も言われなかった。

急に雨はつよくなってくるし、道を間違えたのか記憶の中の下り坂もないし、ちょっと泣きそうだった。
最近すぐ泣いてしまう。


それでも何とか国道沿いのスタバに着く。めがねに大量の雨つぶ。
はずかしくなって、めがねを外す。だてめがねだから、外しても問題はない。何でかけてきたのかは自分でも謎。

店内は、勉強をしているらしき人たちが多い。Macユーザーの多さといったら。あと、イヤホンが白い人が多い。
わたしが試験勉強に使っていたテキストと同じテキストを開いている子がいて、がんばれ、と思う。

一人掛けの席に座って、論文を読む。
家にいるときとはびっくりするくらい集中度がちがう。ぐんぐん読む。

今の状況(研究があまり進んでいないこと、発表が近いこと、家で集中できなくなっていることなど)は、決していいとは言えないけれど、人との出会いを意味づけるような出来事がいくつか。それはよいこと。


さて、もうすこし頑張ります。

2014年3月30日日曜日

はじまりの前夜




3月最後の日曜日。
なんだか、ひと区切りついたような気がする。


2月後半から3月前半は、小学校で研究授業をさせていただいた。
とにかく毎日必死で、実際に授業をしている時間はもちろん、そのほかの時間も授業準備、教材研究、振り返りと、わたわたと過ごしていた。
帰って来るとばたんと寝てしまって、夜中に起きてシャワーを浴びるということも多かった。
研究授業の前週、コンタクトレンズが眼の中で割れて眼球が傷ついてしまうという事件もあった。
(眼科に一週間で三回行った)
でも、授業が終わってしまうとさみしくて、子どもたちにすぐ会いたくなっている自分がいた。

3月2週目に研究授業が終わってから、今日まであっという間だった。
手帳を見ると、とにかく人にたくさん会っている。
友だちに会い、先輩に会い、会いたいひとに会いに行き、ご飯を食べ、お酒を飲んでいたらしい。
びっくりするほど、たくさん出かけたような気がする。
映画館、美術館、ライブ、展示、日帰り旅行、上野動物園、先輩の結婚パーティー、句会、ブックトーク、本屋、プラネタリウム、ワークショップ、などなど。

それまで我慢していたものを発散するように、大きく伸びをするように、
とにかく行きたいところへ行った。
その合間になぜか片道1時間半かけてアルバイトにも行っていたので、ほとんど家にいなかった。


そんな日々も、今日でひと区切りだ。



今夜、久しぶりに会ってゆっくり話した人たちのことを、何て言ったらいいのだろう。
年齢はわたしよりも上だけれど、先輩と呼ぶにはすこし違う気がする。

話してみて、あの場所にいたことで、すとんと心のなかに箱が置かれたような気分だった。
わたしはただ聞いていただけだけれど、世界が少しずつ立体的になっていくような。
あの、何とも言えない感覚を、ことばにすることはむずかしい。
帰り道に、ああ明日からの日々を大切に生きよう、と思えた。
そんな一瞬があっただけで、もう何だかそれでぜんぶよくなってしまった。




3月はあと一日残っているけれど、もう4月の気分。
明日から、がらっと生活が変わる。
新しい日々のはじまり。言い訳をしない。

2014年3月11日火曜日

光のあるほうへ

ようやく、書こうという気持ちになった。



今日、エキレビであまちゃんに関するレビューを読みました。
▽アキとユイの未来と北三陸鉄道のその先。今だから解く「あまちゃん」のメッセージ(与儀明子)
http://a.excite.co.jp/News/review/20140311/E1394461201955.html

昨年の紅白歌合戦の「あまちゃん」を、また思い出しました。
大晦日、テレビを見ながらぼろぼろ泣きました。

実家では、物心ついたときからずっと、朝ドラを見ていました。
ひとり暮らしのアパートにはテレビがなく、「あまちゃん」は実家に帰ったときだけ見ていました。
通院のために週に一度は帰省していたので、そんなペースで。
8月末に2週間くらいまとめて帰省したときには毎朝見るようになり、9月3日からの震災編は、妹に録画してもらって、ぜんぶ見ました。




これまでずっと、わたしは3月11日のことについて話したり書いたりできずにいました。
Twitterでは定期的に震災の話や原発の話が出るし、授業でも、原発の話が出ることもある。
友人のなかには実際に東北へボランティアに行ったひともいる。
ただ、わたしはどうしても、まっすぐに向きあったり考えたりすることができない、と思っていました。




震災の日、2011年3月11日。大学にいて帰れなくなったわたしは、いちばん先に「だいじょうぶ?」と連絡をくれた友だちの部屋へ泊まることになりました。
その子はサークルの同期で、それまでにも何度か部屋に泊めてもらったことがありました。
テレビから流れてくる地震や津波の映像を見ているわたしの顔を心配して、友だちは「テレビ、消そうか?」と言ってくれました。
なんとか夕食を食べ終えて、同期の安否確認もほぼ終わったかな、というとき。
ひとり、連絡が来ていないことに気づきました。
その瞬間、その子はちょうどその時期帰省すると言っていたこと、その子の実家は地震の被害が大きそうな地域にあることを思い出し、ばくばくと呼吸がうまくできなくなりました。
どうしようもなくて、何もできなくて、不安で、ふたりで泣きました。
(後日、その同期からは無事だと連絡がありました)
寝る前に、避難場所を確認して、普段着のうえにコートを着たまま布団に入りました。
余震が続き、真夜中に目覚めてはふたりで「だいじょうぶ」「だいじょうぶ」と言い合ってもう一度眠る、ということを繰り返していました。



昨年4月からひとり暮らしをはじめたアパートは、震災の日に泊めてくれた友達の部屋をそのままゆずり受けました。
部屋をゆずり受けるとき、震災のことはほとんど思い出しませんでした。
でも、自分が部屋の家具を置くとき、同じ配置を無意識に避けていたことに、今になって気づきました。

実は今でも実家に帰ると、寝る前に、今夜地震が起こったら何を持って避難するかを考えます。


今年の夏休み、友だちと岩手へ旅行に行ったとき、新幹線の中で読んだパンフレットの「大船渡」「石巻」といった名前を、わたしはきちんと見ることができませんでした。



震災に関して自分から「動いている」わけではないのに、震災に関することでぐらんぐらんしてしまう自分。
気になるなら本を読んだり情報を集めたりすればいいのに。
実際に行ってみればいいのに。
何もしないのに、すぐにぐらんぐらんしてしまう自分が、なんだかすごく嫌でした。



「あまちゃん」は、皆がきちんと生きているのがすごくすきでした。
人が頑張れる度合いは個人差があるけど、手を抜くことなく、自分の「生」を使い切っているところが、すごくすきだった。
かっこつけるときもあるし、全部投げ出したいと思うときもあるし、だけどそれを全部ひっくるめて、人間なんだと思います。そういうところがすごくすきだったのだと改めて思いました。

アキちゃんの「生きてる限り大事じゃねえ時期なんてねえし」という言葉は、何度思い出してもぐっときます。
「あまちゃん」は、たくさん笑えてたくさん泣けて、生きているってすごいな、と思わせてくれました。





自分には何ができるか。自分は何をしているか。
そんなことを突きつけられているような気持ちに、勝手になっていたけれど、自分のやるべきことはずっと前から決まっていて、ひたすらに生きていくことではないかと最近思うようになりました。
その過程にあるひとつひとつの箱を開いて、中を確かめて、意味づけていくことなのだなあと。
(もちろんこれはわたしの捉えかたで、ほかのひとに押しつけるつもりはまったくありません)
少なくとも今は、そう思っています。

今までの、いろんなことは、ぜんぶぜんぶつながっている。




「あまちゃん」を最後まで見てほしかったな、と思うひとがいます。
今会えたなら、どんな話ができるだろう、と思います。
もう夢の中でしか会えないし、夢の中でもなかなか会えない。
そんなひとから、もらったものがたくさんあります。
「別にあげたわけじゃない」って、そのひとは絶対言う。でも、それでもいいんだ。
「勝手に分けてもらったんです、いいんです」って、言ってやりたい。



それぞれが、それぞれの生を引き受けて、毎日を過ごしていく。
すこしでも、光のあるほうへ。
いい風が吹くほうへ。

2014年3月2日日曜日

ぐらんぐらん

電車の中吊り広告に、ビールの広告が多い。
サントリープレミアムモルツ、アサヒスーパードライ、キリン一番搾り。
どれも、一口だけ飲みたい。


そうだろうな、とは思っていたけれど、集中力もやる気も長く続かないということをつよく自覚するようになった。
これじゃだめだ、と心がぐらぐらすることは多いわりに、途中でけろっとそのことを忘れてしまう。


昔からあなたは飽きっぽい、ひとり遊びをしているときもそうだった、と母親に言われる。
「おままごとをしてるかと思えばリカちゃん人形を出してきて。そしたら急にピアノを弾いたり。飽きっぽいのがずっと心配」
でも、わたしの中では、つながっているのだ。
おままごとをしているとだれか登場人物がほしくなり、リカちゃん人形を出してきてひとしきり遊び、
ミュージカルのように、動かしながら歌っているうちに、音楽がほしくなってピアノを弾くのだ。

今でもそういうことはよくある。
友だちの話を聞きながら、そういえばああいうことがあったな、と思い出し、
友だちの話が終わったところで、その思い出した話をはじめる。
「○○で思い出したんだけど」と話しはじめるとき、たいてい友だちの話からは遠く離れたところの話をしてしまう。

連想が次の連想を呼び起こして、どんどん進んで行ってしまうのだ。



集中力もやる気も続かなくて、これじゃだめだ頑張らないと、と思ってもすぐ忘れてしまうのなら、
何度でも立て直せばいい。
立て直すチャンス、振り返る機会を、細かく自分でつくればいいのだ。
と、今は思っている。

2014年2月28日金曜日

「日々のお手入れ」は苦手

書きたいことはあるのだ。

ファーストピアスは2月28日になったらはずしていいですよ、とピアスを開けたときにお医者さんに言われていて。この日を今か今かと待ちながら、一方で、ピアス最近あけたけど特になにも変わらないわ、ファーストピアス終わるのいつだったかな、っていう顔をしてこの日を待っていて。
家ではピアスをくるくるさわってみたり、セカンドピアスのことをネットで調べてむだに怖がったり。
そんなことをしていたら、今朝、予想外のタイミングでファーストピアスがとれてしまって。
やばいまだセカンドピアス買ってない!どうしようどれ買ったらいいの!
というわけでTwitterで聞いてみたら、いろんなひとがお返事をくれて、無事に買うことができました。
まだ油断はできないから、とても苦手な「日々のお手入れ」を頑張らないといけないな。

とか。

友だちと、「スナックなんちゃら」に似合う名前を探していて。
からっとした名前はだめだ、ある程度湿っぽいほうがいい」
「この名前だとスナックっていうよりがっつり!ホルモン!って感じだし、こっちだと、高級感が出すぎ」
と、これからきっと役に立たないであろうこと(わたしも友だちもスナックをはじめる予定はない)を延々と真面目に考え続けている。

とか。

昨日となりに座っていたひとは手が大きくて、つめがきれいで。
手大きいですね、までは言えたけど、つめがきれいですね、は何だか言えなかった。

とか。

今週は慣れない場所に通っていて。荷物も多いし悩みも多いし、でも頑張らなきゃいけない時期で。こういうときは、自分の欲望に制限をかけないようにしている。
ふだんはあまり食に意欲がないのだけれど、月曜にハンバーグが食べたくなったので、食べに行った。
それなのに木曜にもハンバーグが食べたくなって。自分でもおどろいたけど、たぶん体が欲してるんだな、と自分(の理性)に言い聞かせて、食べに行った。今月はなぜか自炊を頑張っていた期間があるので月末も何とかなっている。
今日は午後電車に乗っていたら焼肉が食べたくなったし、さっきラーメン食べたいな、と思った。
味の濃いものを求めている時期なのか。自分でもおどろいている。

とか。



書き残しておきたいことはあるけれど、書くモードにならない。のはなぜだろう。
でも。こういうときもあるよね、って思うようにしている。
今のタイミングで、自分を追いつめるのはよくない気がするから。直感。
まずはひとつずつ、手を動かすことだね。



明日から、三月。

2014年1月12日日曜日

はじまりはじまり

▽新年
もう10日も経つなんて信じられない!と言っていたのも一昨日になり。12日になってしまった。
2014年、実は年女です。
12年前に、出していない人から年賀状が来て、あわててコンビニで買って出したイラストつき年賀はがき(郵便局で売っているやつではない)の残りが実家の机の引き出しから出て来ました。
使うかどうかわからないものを捨てられない性分なのはずっと変わらないみたいです。

本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
(ちなみにその年賀状は今年、訳あって使いました)


▽「てしごと」
毎年何かしら目標を立てることにしている。
昨年は「よく生きる」だった。
人の基準ではなく、自分の基準をもつこと。自分の目で見て、考えて、決めること。

今年は「てしごと」です。
ああどうしよう!もう何をやったらいいのかわからない!というとき、たいてい、頭でっかちになっている。
何かひとつ、とにかくやってみることで、するすると物事が進む、という経験を何度もしてきた。
まずは、手を動かしてみること。
本を開く、
思ったことを書き出す、
キーボードをたたく、
折る、さわる、切る、たたむ、混ぜる、掃く、みがく、、、

手でできることは、たくさんある。

手を大事にすること。今自分がいる、この場所を大事にすること。



▽会いたいひとに会いに行く
2年くらい前から、「会いたいひとに会いに行く」をモットーにしている。
自分にはタイムリミットがあって、もちろんそれは絶対のものではないのだけれど、でも自分の中で区切りを意識している。2015年の3月。ひとまず。
それまでは、会いたい!と思ったら、その気持ちをいちばん大事にする。
後回しにしていると、いつの間にか、急に、いなくなってしまうことがあるから。
すきなひとに、すきだと、伝えたいときにちゃんと伝えておかないと、言えないままになってしまう。

もちろんタイミングの問題や、そのとき優先するべき諸々の関係で会えないこともあるかもしれないけれど、それはそういうことなのだと、思う。誰も責めないし、責められない。
義務感とかそういうことではなくて、言いたいから言うし、会いたいから会いに行く。


今年もどうか、健やかに、穏やかに、過ごせますように。




泉かなえ拝