2014年3月11日火曜日

光のあるほうへ

ようやく、書こうという気持ちになった。



今日、エキレビであまちゃんに関するレビューを読みました。
▽アキとユイの未来と北三陸鉄道のその先。今だから解く「あまちゃん」のメッセージ(与儀明子)
http://a.excite.co.jp/News/review/20140311/E1394461201955.html

昨年の紅白歌合戦の「あまちゃん」を、また思い出しました。
大晦日、テレビを見ながらぼろぼろ泣きました。

実家では、物心ついたときからずっと、朝ドラを見ていました。
ひとり暮らしのアパートにはテレビがなく、「あまちゃん」は実家に帰ったときだけ見ていました。
通院のために週に一度は帰省していたので、そんなペースで。
8月末に2週間くらいまとめて帰省したときには毎朝見るようになり、9月3日からの震災編は、妹に録画してもらって、ぜんぶ見ました。




これまでずっと、わたしは3月11日のことについて話したり書いたりできずにいました。
Twitterでは定期的に震災の話や原発の話が出るし、授業でも、原発の話が出ることもある。
友人のなかには実際に東北へボランティアに行ったひともいる。
ただ、わたしはどうしても、まっすぐに向きあったり考えたりすることができない、と思っていました。




震災の日、2011年3月11日。大学にいて帰れなくなったわたしは、いちばん先に「だいじょうぶ?」と連絡をくれた友だちの部屋へ泊まることになりました。
その子はサークルの同期で、それまでにも何度か部屋に泊めてもらったことがありました。
テレビから流れてくる地震や津波の映像を見ているわたしの顔を心配して、友だちは「テレビ、消そうか?」と言ってくれました。
なんとか夕食を食べ終えて、同期の安否確認もほぼ終わったかな、というとき。
ひとり、連絡が来ていないことに気づきました。
その瞬間、その子はちょうどその時期帰省すると言っていたこと、その子の実家は地震の被害が大きそうな地域にあることを思い出し、ばくばくと呼吸がうまくできなくなりました。
どうしようもなくて、何もできなくて、不安で、ふたりで泣きました。
(後日、その同期からは無事だと連絡がありました)
寝る前に、避難場所を確認して、普段着のうえにコートを着たまま布団に入りました。
余震が続き、真夜中に目覚めてはふたりで「だいじょうぶ」「だいじょうぶ」と言い合ってもう一度眠る、ということを繰り返していました。



昨年4月からひとり暮らしをはじめたアパートは、震災の日に泊めてくれた友達の部屋をそのままゆずり受けました。
部屋をゆずり受けるとき、震災のことはほとんど思い出しませんでした。
でも、自分が部屋の家具を置くとき、同じ配置を無意識に避けていたことに、今になって気づきました。

実は今でも実家に帰ると、寝る前に、今夜地震が起こったら何を持って避難するかを考えます。


今年の夏休み、友だちと岩手へ旅行に行ったとき、新幹線の中で読んだパンフレットの「大船渡」「石巻」といった名前を、わたしはきちんと見ることができませんでした。



震災に関して自分から「動いている」わけではないのに、震災に関することでぐらんぐらんしてしまう自分。
気になるなら本を読んだり情報を集めたりすればいいのに。
実際に行ってみればいいのに。
何もしないのに、すぐにぐらんぐらんしてしまう自分が、なんだかすごく嫌でした。



「あまちゃん」は、皆がきちんと生きているのがすごくすきでした。
人が頑張れる度合いは個人差があるけど、手を抜くことなく、自分の「生」を使い切っているところが、すごくすきだった。
かっこつけるときもあるし、全部投げ出したいと思うときもあるし、だけどそれを全部ひっくるめて、人間なんだと思います。そういうところがすごくすきだったのだと改めて思いました。

アキちゃんの「生きてる限り大事じゃねえ時期なんてねえし」という言葉は、何度思い出してもぐっときます。
「あまちゃん」は、たくさん笑えてたくさん泣けて、生きているってすごいな、と思わせてくれました。





自分には何ができるか。自分は何をしているか。
そんなことを突きつけられているような気持ちに、勝手になっていたけれど、自分のやるべきことはずっと前から決まっていて、ひたすらに生きていくことではないかと最近思うようになりました。
その過程にあるひとつひとつの箱を開いて、中を確かめて、意味づけていくことなのだなあと。
(もちろんこれはわたしの捉えかたで、ほかのひとに押しつけるつもりはまったくありません)
少なくとも今は、そう思っています。

今までの、いろんなことは、ぜんぶぜんぶつながっている。




「あまちゃん」を最後まで見てほしかったな、と思うひとがいます。
今会えたなら、どんな話ができるだろう、と思います。
もう夢の中でしか会えないし、夢の中でもなかなか会えない。
そんなひとから、もらったものがたくさんあります。
「別にあげたわけじゃない」って、そのひとは絶対言う。でも、それでもいいんだ。
「勝手に分けてもらったんです、いいんです」って、言ってやりたい。



それぞれが、それぞれの生を引き受けて、毎日を過ごしていく。
すこしでも、光のあるほうへ。
いい風が吹くほうへ。

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