2013年12月11日水曜日

ここにある

目の前のひとの経験にくらべたら、わたしなんて、と何度も思ったはずなのに、言わずにはいられなかった。
言いはじめたら、何がかなしいのか、どうしたいのか、わからなくなってしまったけれど話し続けた。

同じ場所から同じものを見ることはできないから、想像するしかない。
生まれた感情は、あなたではなくわたしのものだけれど、それは紛れもなくあなたとの関わりで生まれたものなんだよ。
あなたとの関わりはここに、ここにあるんです。


わたしはわたしの実存を、引き受けて生きていかなければならない。

2013年11月4日月曜日

知らない街を歩きたい

ぷはーっと、一息。

久しぶりに半身浴をする。江國香織の『東京タワー』は読み終えてしまったので、山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』を持って入る。
『人のセックスを笑うな』は、冬っぽい小説だと思う。読んでみたら、みるめくん(主人公)がマフラーをしている描写があり、ああやっぱりそうだな、と思った。
冬の日差し、のイメージがある。
山崎ナオコーラさんのエッセイ『指先からソーダ』がすきで、何度も読んでいる。
たしか、お風呂で本を読み、湯船に落としてしまったしおりをおでこにはって、まだ読む、というエピソードが書いてあったような気がする。

江國さんでも山崎さんでも角田光代さんでもそうだけれど、本を読んだあとはその文体が自分の中で反芻される。
ものの見方捉え方が似るというか。
だから、本を読んだあとはぐらんぐらんしてしまう。引きずっていることが多い。
今日もたぶんそれだ。

『人のセックスを笑うな』に出てくる二子玉川に、土曜日に行った。偶然。
とても眠くて、電車の中ではずっと寝ていた。
電車で川を渡るのがすきなのに、二子玉川の駅で飛び起きて電車から降りたので、周りの景色を見ることがほとんどできなかった。
降りるときに一瞬、川が光るのが見えた。反対側の席に座ればよかった。

いつの間にか、地下鉄でWi-fiが使えるようになっていた。
地下鉄は電波が入らないところもすきだったのに、残念。でも、便利だから使う。
よく使う路線も、駅名をあまり覚えられない。どこが乗り換えが便利、というようなこともあまり覚えられないから、急いでいるときは大きい駅はあまり使わないようにしている。何となく。
降りたことのない駅で降りてみたい。歩くのはすきだ。



大切なものを大切だと言いきって、自分のなかできちんと大切にしたい。

2013年11月1日金曜日

一区切り、として

ブログ毎日更新キャンペーンですが、11月になりますのでいったん終了といたします。

毎日書いてみて、書き続けることはやっぱり大切だなあと思いました。
正直、ほかのことに追われて書くモードに入れず、わたわたしたこともありましたが、自分の中では一区切り。

自分の書きたいことが思うように書けない!ということも何度かあって、インプットも大事だと改めて実感しました。


ともあれ、何度も足を運んでくださり、読んでくださった皆様ありがとうございました。
またゆるゆると続けていきます。

2013年10月30日水曜日

部屋の真ん中に机

いつも壁際に寄せている机を部屋の中央へ。
というか、もう片側の壁にあるプリンターに近づける。
作業しやすくするため。
いつもと同じ部屋なのに、違う目線。景色。ふしぎ。

2013年10月29日火曜日

すべてはそれからだ!

やっと告知をしました。
11/4(月・祝)の文学フリマで、フリーペーパー「昨日より鳩の足が紅い」を配布します。
ぜひお手にとっていただけるとうれしいです。

・・・とは言ったものの、Twitterにも書いたものの、実はまだ完成していません!
印刷もかけられていないし、というか割り付けもまだ迷走中だし、どうしたものか。
果たして完成するのでしょうか!!
というバタバタな状況です。学校関係の発表やら資料作りやらで、作業の時間がとれません。

でも頑張ります。
完成したら再度告知いたします。どうぞよろしくお願いいたします。


2013年10月28日月曜日

白いものがすきだ

新米二升をキャリーケースに詰めて実家から運んできたのに、まだ食べられていない。
前から食べている米がなくならないから。あと少しなのに。
ずっと食べていた米が、新米ができたとたんに古米になってしまう。
古い、という漢字に比べて、新しいという漢字はきらきらしている。画の方向があちこちに向いているからかな。


豆腐、白米、ヨーグルト。
白いものがすきだ。



書きたいことはあるのだけれど、ちょっと自分の中で大切にしたり見つめ直したりしてからここに書きたい。のでもうすこしお待ちを。


2013年10月27日日曜日

マニキュアを一本

夜のコンビ二で、マニキュアを一本選ぶ。
ピンクよりもオレンジベースのほうがすきだ。健康的な気持ちになる。


小さい約束を、大切にしたい。
今度お蕎麦屋さんに行ってそば湯を飲もうとか、
今度泊まりにおいでよとか。
そういうこと、ひとつひとつ。
大人になるにつれて、大事なものは世の中が大事にしていることと重ならなくちゃいけない、みたいになっていって。
でも、そのまま小さい約束を信じて大切にしていいんだよ、って言ってもらえたような気がして、うれしい。

2013年10月26日土曜日

交差点で

交差点を渡るときのことを、思い出した。
なかなか話し出せなかったこと、うまく顔が見られなかったこと。
わたしだけのもの。
誰が知っていることになろうとも、わたしだけのもの。

誰かの記憶に加わるということの、ふしぎ。
再現、ではなく。
誰かの中に入りこむような、でも新しいものを作っているような。


詳しいことはまた後日。
あの場所と時間を共有できたことのしあわせ。
ありがとうございました。

2013年10月25日金曜日

十月に似合う服なら着たくない

十月に似合う服なら着たくない(泉かなえ)


初めて句会に行ったときに出した俳句。
句会に行くのも初めてで、
俳句を作るのもほぼ初めてで、
3句作ってきてねって言われて作って行って。
そしたら主催の人(句会行きたいです!連絡をした相手)が体調不良で急きょ欠席、
知っている人は1人(しかもほとんどお話したことがない)
わたしの他は全員男子、
場所は新宿歌舞伎町のルノアール(行き着くまでこわかった・・・昼間なのに)

いやあ、ふしぎな句会デビューでした。
上句は初めて席題で作った句。題は「十月」でした。
なつかしい。

2013年10月24日木曜日

瞼がおちてしまうよ

マスク。湿度の高い電車。キャリーケース。
京都で買ったビニール傘。ささくれをむしってしまった指。空腹。

青のカーディガンがほしい。
今年は寒色の気分。

2013年10月23日水曜日

ひゃー!

一気に、忙しくなってきた。
今月上旬の、ゆるやかな生活が嘘みたいだ。

ぱっと力を出せる人になりたい。

2013年10月22日火曜日

どんぐりを思い出していた昨年の今日

そういえば、と思い立って、一年前、つまり2012年10月22日のツイートを見返してみました。
昨年の今日は月曜日でした。
(これって、何か計算式みたいなので出せるよね。どこかの問題集に載っていた気がする)

・ささくれがひどすぎる。いいにおいのハンドクリームがほしい。
ああ、昨年もこの時期にささくれがひどかったのね。
今はロキシタンのハンドクリームと、お友達にお土産でもらったトルコのハンドクリームを使っています。

・つめをさわると、どんぐりを思い出す。
今はネイルをしているので(うすーーーいピンク。それでもテンション上がる)そんなに感じないけれど、つめをさわった感じはどんぐりに似ている。
これをツイートしたら、石原ユキオさんに「俳句・・・!」というリプライをいただいたのでした。
今年、どんぐりの記憶があまりないのは、大学内を歩くことが少ないからかもしれないな。

・今日はたくさん人と会って話した気がする。ぼんやりしたイメージの話をていねいに聞いてもらうのはうれしい。
だいたい毎年同じようなことをやっているらしい。
昨年の手帳が手元にないので誰と話したのか覚えていないのだけれど、たぶん進路のことやら論文のことやら、誰かに話を聞いてもらったのでしょう。感謝。


そんなわけで、2013年10月22日も元気です。

2013年10月21日月曜日

思考タロットで「自分を見る」をやってみた

去る9月27日(自分で書いていておどろいた、そんな前なのか)先月、米光一成さん主催の思考タロットのイベントに行ってきました!
(詳しくは、 「すべてのことはメッセージ」!思考ツールとしてのタロット2013 をご参照ください)

そのイベントでは宿題:「自分を見る」というものが出て、実はイベントから帰って来てすぐにやってみました。
そのレポートをしていなかったので、書いておきます。

■自分を見る
まず、自分の年齢を、1歳から5年ごとにわけて、その年齢での出来事を記入。
わたしが初めに書いた、その5年間での出来事は以下の通りです。
ちょっと書くのがはずかしいですが、えいやっ!と書いておきます。

01~05(歳) 家とひとり遊びが大すき
06~10    いわゆる優等生でした
11~15    思春期真っ最中!黒歴史!
16~20    人との関わりの中でぐるぐる自分が変わる、悩む
21~25    今!世界が広がっている、すきなことをやる

そして、タロットをめくってコレポンしていきます。
年齢、カード、意味(コレポン)の順で書いていきます。

01~05(歳) 魔術師・・・意識がはじまる、生きる技術を身につける
         (「家とひとり遊びが大すき」たしかに。生き始め、という感じ)
06~10    正義・・・「内なる正義」に従い自分で判断する
         (「いわゆる優等生でした」正しいことは正しい!と正義感をふりかざしていたなあ)
11~15    ・・・ハプニング、自分の殻、過去からの脱出
         (「思春期真っ最中!黒歴史!」今までの方法ではうまくいかないことが出てくる、こ
          れでいいのか?と思いつつ、それしか方法を知らなかった。つらかった時期)
16~20    ・・・希望、ネットワーク、何かのためではない今
         (「人との関わりの中でぐるぐる自分が変わる、悩む」人との出会いに恵まれた期
          間。自分の価値観や感覚が広がったりゆさぶられたり)
21~25    女教皇・・・沈黙、言葉に覆い隠される前の事柄、真実の輝き
         (「今!世界が広がっている、すきなことをやる」今までよりすこし余裕をもって、周り
          を見られるようになったかも。わたしはこっちでいいのだ、と思えている)

なんていうか、もう驚くことばかりでした。
え!こんなに!コレポンできてしまうの!!という。
このカードが机の上に並んだときの、何とも言えない気持ち。
5年ごとに振り返ってからタロットをめくったので、余計に、過去が名づけられていく。
そして今生きている「21~25」のところ(この中であと数年過ごすのですが)は、女教皇。
言葉に覆い隠されるのではなく、その前にある、その下にある、自分の本当の気持ちを見つめ直してみよう、と思わせてくれる。
導かれるものに導かれてみよう、というか。
うまく言葉にできなくても、目に見えなくても、大切なものはたくさんある、と認めること。
誰かの基準ではなく、自分がどうしたいか、自分にとって「よく生きる」とはどんなことなのかを考えること。

そんなふうにして、過去現在未来をコレポンして、意味づけることができました。
ああ、驚いた。でも、すこし、どこか安心している自分もいます。ふしぎ。

2013年10月20日日曜日

あと10分で

電車にゆられる。新宿は予想以上に遠い。
さっきから、数えきれないくらい、電車の扉が開いたり閉まったりしている。

会うまでの時間たっぷり浴びたくて
各駅停車で新宿に行く

(俵万智 『サラダ記念日』1987年)

新宿に行くときに、この歌を思い出すことがある。
初めて『サラダ記念日』を読んだのは、中学生のときだった。たぶん、初めて読んだ歌集だったと思う。
国語便覧に載っている俵さんの短歌は全部ノートに書き写してしまい、市立図書館に歌集を探しに行った。
新宿は、中学生のわたしには遠い場所だった。でも、誰かに会いに新宿に行くということが、なんだかとてもうらやましくて、かっこよかった。

一年くらい前、友人と上野で待ち合わせをした。
大学まで一時間半かけて通学していたので、都内はどこへ行くにもそれくらいの時間だと思っていた。そう思っていれば、都内で待ち合わせをして、遅刻することはあまりない。
行ったことがない場所で待ち合わせをするときは、事前に調べる。
上野までの乗り換えはわかっていたので事前に路線を調べることはしなかった。電車に乗ってから何となく到着時間を調べてみたら、上野には一時間くらいで着くことがわかり、急に不安になった。
なんていうか、人と会うための気持ちの準備時間が足りないのだ。
電車では本を読んでいることが多く、その世界にどっぷり浸かってしまうと、現実世界に戻ってくるまでに時間がかかる。
人と会うために必要な時間が、わたしは一時間半なのだとぼんやり思った。
というか、到着時間を逆算して、少しずつモードをチューニングしている、という感じかもしれない。
音楽もそうで、到着次第気持ちを切り替える!というときは待ち合わせ時間が近くなると、Perfumeを聴いたりしていた。キリンジやGRAPEVINEは、なんとなく違う。
わたしは、音楽にも左右されやすい。教育実習のときは、毎朝Perfumeを聴いて出勤していた。体のなかのリズムが、前向きになる。


もう、新宿に行ってもどきどきしなくなった。
それは、新宿の思い出が増えてきたからかもしれないし、別の理由かもしれない。
本日お会いする人、お会いしましょう。楽しみ。
あと10分で、新宿。

2013年10月19日土曜日

両手ばなし

現実と真実のごとブランコは二つ並んで一つが揺れる(東直子)


東直子さんの『十階』(ふらんす堂)より、10/19の短歌。
『十階』は、5月に買って以来、少しずつ読んでいる。
2007年短歌日記、365日ぶんの歌。
先へ先へとは読む気持ちになれなくて、毎日ひとつずつくらいのペースで読む。もちろん読めない日もあるけれど、誰も責めたりはしない。

前は、東さんの歌をどう受けとめたらいいのかわからなかったけど、最近少しずつ引っかかるようになってきた。いいなあ、と思うものが増えるのは、単純に、両手ばなしで、たのしい。

2013年10月18日金曜日

だいじょうぶ、って笑っても

だいじょうぶ、って二回言う人は、全然だいじょうぶじゃない。さかさまの刑です。

「すきすき」はきらい 「うそうそ」ならほんと 2回言ったらさかさまの刑 (is)


だいじょうぶ?って誰かに聞くとき、たいてい、だいじょうぶではなさそうだから聞いている。
だいじょうぶじゃなくても、だいじょうぶ、と答える人に、次は何て言ったらいいの。
つらくても苦しくても「だいじょうぶ」と答える人のそばにいたとき、
「大丈夫かどうかはわたしが!決める!!」
と言ったこともあるなあ、と思い出す。それはいつのことだっけ。忘れてしまった。

2013年10月17日木曜日

茶葉がひろがる

予想以上に今日は寒かった。
カーディガンだけじゃ足りない。そろそろ、インナーが重要な時期ですね。

・最近、月兎印のミルクパンを買ったので、ミルクティを作って飲むのがしあわせ。
ティーパックから茶葉を出してしまって、煮詰めて、茶こしで最後に漉す。
ていねいに、じんわりとあたたまっていくのを見るのが、今の気分に合っている。
ミルクパンを買うのはずっと迷っていたけれど、わたしがキッチン用品をほしがるなんて!もうこの先ないかもしれない!と思って買った。
ひとり暮らしをするようになってから、食べることに目が向くようになった気がする。
今は和食器が気になっている。新しいお皿がほしい。

・気心知れた人と二日も話さないと、こんなにさびしくなるのだなあ、と自分でもびっくり。
スーパーのレジの人と「袋どうしますか」「いらないです」と会話したくらいでは、全然足りないらしい。
電話してくれた友達に感謝。
・今日は大学でいろんな人に会えたので、わりと満足。
・なんだか一日中ばたばたと過ごしたけれど、動きだしている感じで、自分の作業もするすると進む。
こうやって、自分で時間をやりくりしていかなくちゃ、と思っている。
来週ゼミ発表があるのに、あまり準備が進んでいない。
それにも関わらず、けっこうのんびりしている。よくない。
できることを、できるときに。時間は限られているから。

明日は久しぶりの早起き。
きちんと起きられますように。

2013年10月16日水曜日

きらきらと、残像

寒くなってきたので、半身浴をした。
何もしないで入っているのは飽きてしまうので、江國香織『東京タワー』の文庫本を持って入る。
カバーははずして、すこしずつ読む。

江國香織をよく読んでいたのは、12歳から14歳くらいのころだ。
中学に入ったばかりのときに、国語の先生が授業中に「デューク」を読んでくれた。
そのあと、近くの図書館で江國香織の本を片っ端から読んでいった。
図書館や本屋にある、いわゆる子ども向け本コーナーに行くのが嫌だったわたしにとって、江國香織は精いっぱい背伸びができる本だった。
どの本がどんな内容だったのか、実はあまり覚えていない。
覚えているのは、読んだあとの、ふしぎな後味だけだ。
自分の暮らしを、遠くから見ているような感覚。

高校に入ったころから、あまり江國香織を読まなくなった。
引越しをするときも、江國香織の本は実家から一冊も持って来なかった。
今部屋にある『東京タワー』の文庫は、友達が自分の本を売っているときに買ったものだ。

『東京タワー』はまだ半分も読んでいないけれど、すでに東京タワーが何回か出てくる。
東京タワーの見える暮らし、だ。
それを読んで、学生時代をどこで過ごすのかということは、わりと重要なことだと改めて思った。
高校時代、朝も昼休みも放課後も部活のことを考えていて、テスト期間で部活が休みになれば勉強をして、部活を引退した高2の春休みからは受験勉強をして、という生活だった。
図書館で本を借りたり、本屋さんのなかにあるカフェでお茶を飲んだり、帰りに友達とたこ焼きを食べたりと、いちおう楽しく過ごしてはいたけれど、基本的には、縛られた生活だと思っていた。
なんていうか、自分の選べることが少ない。
新宿のイベントに行きたくて、親に言うと心配するから(心配性の親だった)お小遣いがほしいとも言えなくて、何ヶ月も前から計画を立てて、こっそり行ったのを覚えている。
大学に入ってから、学校帰りに喫茶店でひとりでコーヒーを飲んでいたという友達や、部活帰りによく映画を見たりDVDを借りて帰っていたという先輩に出会った。
そういう人とは、暮らしてきた時間や生活が全然違うのだなあ、とぼんやり思っている。
それは良い悪いということではなく、仕方のないことなのだけれど、そういう過去の積み重ねを抜きにして、本を読んでいないとか映画を見ていないとか、いろいろと言うことはできないのだと思う。

いろいろなことが選べなかった高校時代は終わり、選択肢は増えている。今。
やりたいことぜんぶやる!というわけにはいかず、選びとっていかなければいけない。
一区切りの場所が決まったからこそ、そこに向かって、進んで行かなくては、と思っている。


きらきらとひかる渋谷も誰かにはかなしい場所であるのでしょうか

2013年10月15日火曜日

たくさんの花がひらく

台風が近づいていますね。
雨戸を閉めていても、ばりばりと風の音が聞こえる。
明日の朝はどうなるのでしょうか。
お仕事の皆さん、どうか気をつけて。できればお休みになると良いのですが、そうも言ってられない人もたくさんいますよね。きっと。
わたしは午後から授業なのですが、どうなることやら。

本当は、映画を観たりDVDを観たりだらだらと本を読んだりしたいのに、なかなか時間がうまく使えないのが悩み。
TSUTAYAも近くにないので、借りに行くのもおっくうになっている。

2年前に、期限付きでひとり暮らしをしていたときは、近くにレンタルショップがあったので、毎週DVDを借りて見ていた。
たしか、オレンジデイズを延々と見返していた気がする。
「僕が君を音の闇の中から救う」
っていう手話表現がすごくよかったなあ、というのを今でも覚えている。
手話の文法事項表現云々ということは勉強不足でわかっていないところもあるけれど、登場人物それぞれのキャラクターに表現が合っていたと思う。
櫂くん(妻夫木聡)の表現は、いつもやさしかった。
特に、「救う」のときの、引き寄せかたが、やさしい。


わたしは手話を少しだけやっていて(という表現もなんだか変ですが)
何となくいろんなことを考えながら、手話に関する作品を見ている。
ツイッターで見つけたこの短歌もそのひとつ。

新という手話は花咲くさまに似て旅立つ君は振りかえらない(Tetsu)
(「短歌×写真のフリーペーパー「うたらば」ブログパーツ第43回 テーマ「別」

「新しい」という手話は、両手をそれぞれつぼめたところから、ぱっと開いて表す。
それを「花咲くさま」と表現したところもすてきだし、後半が「旅立つ君は振りかえらない」と着地したところも、すごい!そうくるか!という感じ。
それから、「新しい」の表現と「おめでとう」「祝う」という表現は似ている。
思い返してみると、卒業や旅立ちのときに、「新」「おめでとう」という表現は必ずと言っていいほど使われる。
卒業おめでとう、新しい場所でも頑張ってね、というときに、たくさんの花がひらくと思うと、何とも言えない気持ちになる。
うれしくて、すこしせつない。


2013年10月14日月曜日

きみどりいろに胸が苦しくなる

昼間は暖かくても、夕方から夜にかけて急に秋になるから、出かけるときはカーディガンがあると安心。
昨日会った友達は、15%はもう冬の気分、と言っていた。冬によく聴くアルバムが何だかなじんできた、と言っていた。土鍋の話をした。



昨日は、その友達の写真展に行った。
民家をそのままカフェにしているお店のなかに、写真がたくさん。
玄関にも、廊下にも、部屋のなかにも。アップライトのピアノの側面や、障子や、エアコンのすぐ隣にも。
わら半紙みたいな紙に書かれたキャプションがすごくよくて、何度も読んだ。
いちじくのタルトを食べて、コーヒーを飲む。
向かいの席で体育座りをしている友達は、ひとりで家にいるときみたいだった(正確には、ひとりで家にいるときの友達は見たことがないからわからない)冬っぽいトレーナーを着ていたからかもしれない。だらっとした雰囲気のなかに、細い糸が見える。繊細と緊張。目の前にいるのに、近づいたり遠くに行ったり。

わたしは、京都のバスで窓のサッシにひじをついている前の席の人を撮った写真がすきだった。
京都のバスに乗ると、歩いている人がよく見える。路線図を見るのも、運転手さんのアナウンスを聞くのもすきだ。

その三つ隣には、京都駅のバスターミナルのところの写真。京都駅に着いて、あの場所で京都タワーを見ると、来たぜ京都!という気持ちになる。
写真では何人かの男子と女子が話していて、その周りにも歩いている人がたくさん写っている。
その写真を見たときに、京都のことをぐわっと思い出した。
中学の修学旅行で行った京都、
沖縄に行くはずだったのに台風で飛行機が欠航して、「よし、京都行こう」と新幹線の切符だけ取って家族で向かった京都、
大学二年の冬に、友達と二人旅をした京都、
高瀬川沿いをはじめて歩いた京都、
ひとりで夜行バスの出発時間を待つ京都。

京都はわたしにとって、何かをしに行く場所であり、誰かに会いに行く場所だ。
この前行ったとき、京都駅で急にさびしくなったのは、この中にわたしが知っている人は一人もいないのだと思ったからだ。
京都駅は、待ち合わせをしたり、お土産を一緒に選んだり、またねと言い合ったりしている人がたくさんいる。
楽しい場所だけど、さびしくて苦しくなる場所でもある。認める。


そんなことを、写真をながめながら考えていた。
友達には、言わなかった。
まだ会期はあるので、今度は晴れた午後に行こうと思う。光の射しこんだ部屋が見たい。

今日は電車で、キリンジのベストアルバムを聴いている。
キリンジは冬の音に聴こえる。
きっと、あっという間に冬が来る。


2013年10月13日日曜日

【毎日ブログ更新キャンペーン】はじめます

10月もあっという間に13日になり、とても驚いています。
iPhoneのカレンダーを見ては毎日驚いている。
暦の上ではもう晩秋ですよ。
晩秋の季語には、たとえば「冬近し」などがあります。それなのに、今日半袖でしたよわたし。どうなっているのだ。


今日は二つのイベントをはしごしまして(詳しくは後日)いろいろと考えた結果、
【毎日ブログ更新キャンペーン】
の実施を先ほど脳内会議@湯船で決定いたしました。

Twitterは毎日見ているけれど、なかなかまとまった文章を書く機会が少なく。このままじゃいかん!とブログを立ち上げたものの、ゆるゆるとここまできてしまったので、ここらへんでがつんと目標を決めてやってみます。

目標は、毎日ブログ更新。
期間はとりあえず今日から二週間。
一文でも、俳句一句でもいいから、毎日ここに書く。
ここから二週間はゼミ発表があって忙しい時期ではありますが、言い訳しない!とにかくやってみます!!

どうかしばらくお付き合いください(ぺこり)



◎11/4の文フリで、フリーペーパー&個人冊子を配布できるように準備中です。こちらは形になってきたら、Twitterなどで告知していきます!
よろしくお願いいたします。

2013年10月2日水曜日

「すべてのことはメッセージ」!思考ツールとしてのタロット2013

9月最後の金曜日、「思考ツールとしてのタロット2013」に参加してきました!

「思考ツールとしてのタロット」は、米光一成さんが主催するイベントで、
「神秘としてのタロットではなく世界を新しい視点で捉える思考ツールとしてのタロットのノウハウ  を分かりやすく伝授。師を作り出し、22の視点を得て、カードの象徴を知り、人を占い、自分の思考ツールとして活用するまでを全員が実際にタロットを使って体験するワークショップ&エンタテインメントショー。」
とのこと(パンフレットからそのまま引用)
実は数か月前、米光さんに思考ツールとしてのタロット(以下、思考タロット)をやっていただいたことがあったのですが、その思い当たるふしぎにびっくりして、今回参加を決意したのです!

イベントは三部構成。
1.タロットの基礎知識を伝授!
2.タロットの意味を伝授!
3.タロット使いになる!

いわゆる「タロット」は大アルカナ22枚、小アルカナ56枚の計78枚で構成されているらしい。
このうち、思考タロットでは大アルカナ22枚を使う。
それぞれに番号と名前、意味があり、意味やデザインは、時代によって少しずつ変わっているらしい。
(詳しくは「電書カプセル」というアプリの「電書カプセル版思考ツールとしてのタロット」で説明されている。App storeで「電書カプセル」で検索してみてください。電書カプセルのアプリ自体は無料。「思考ツールとしてのタロット」の記事は270円です。かわいくて楽しいアプリです)

思考タロットのカード22枚は世界全体であり、「世界を22に分けてカードの特徴を知ることで22の視点を得る」ことをしていく。
人は、「何かを知って」いくなかで、世界を名づけ、自分が作った世界体系の中で生きるようになっている。その中で、悩んだり動けなくなったりしている。
じゃあ、「何も知らない」ときに戻ってみたら、どうなる?
22枚のカードをシャッフルすることは、世界を混沌の状態にすること。
そこからカードを引いて、自分の世界体系を一回壊して、22の視点から見つめ直す。
米光さんは、“correspondence”すなわち、「コレポン」する、と言います。
これは、一見無関係と思われるものの共通点を見つけてつなげること。
俳句の二物衝撃の例を出して説明してくれる米光さん。
例えば、松本恭子さんの
  恋ふたつレモンはうまく切れません
という句。「恋ふたつ」と「レモンはうまく切れません」は、一見関係がない。
でも、こうやってぶつかることで、何だか意味があるように感じてしまうし、意味を作りたくなってしまう!
米光さんは言うわけです、「目にうつるすべてのことはメッセージ」!
(どうしても荒井由実さんの声で再生されてしまうこのフレーズ)(ちなみにゴスペラーズの最新アルバム「ハモ騒動」で「やさしさに包まれたなら」がカバーされています。これもめちゃめちゃいいのでおすすめ)


ここで思考タロットの紹介。
タロット22枚には、0から21の番号がついていて、以下の順に名前がついている。
愚者、魔術師、女教皇、女帝、皇帝、教皇、恋人、戦車、力、隠者、運命の輪、正義、吊るされた男、死神、節制、悪魔、塔、星、月、太陽、審判、世界。
名前だけ見ると、ええ!と思うものもあるけれど、吊るされた男は「修行」、悪魔は「抑圧、誘惑」などの意味にコレポンしていく。
そして数字も意味に関係しているとのこと。
愚者は0で、自由。魔術師は1で、技術とか始まりとか。
そして、16の塔で「衝撃、脱皮」して、17の星で「希望が」見える、21の世界は「完成、次のステージ」へ、というように。

さてそんなわけで、まずは、生年月日から自分の「師匠」となるカードを探し出すことに。
わたしの師匠は、「教皇」で、伝統・倫理・暗黙のルールなどの意味をもつカード。
この時点で、思い当たる点が多すぎるわたしは、諸事情を知っている同じテーブルのお友達と「やばい!タロットやばい!」とわたわた。

ひとつひとつのカードの意味や特徴の説明があり(全部書いていると膨大な量になるので省略)(この説明もすごくおもしろかった)なんとなーくわかったところで、実際に思考タロットをやってみる。
二人組になって、お互いの悩みを聞いて、カードを3枚引く。
それぞれのカードが表すのは、「過去、現在、未来」
このとき、タロットをやる側が悩みを「解決する」わけではない。相談者のほうが「思い当たる」というスタンスで、やっていく。
わたしがとりあえず出した悩み(初めましての人もいたのであまり大きすぎないものを、ということで)は、「貯金ができないこと」。
タロットをやってくれる人から、いくつか質問がある。
「いつごろからそういう悩みがある?」「収入を増やすのと支出を減らすのはどっち?」など。
そして引いたカードは、過去:愚者、現在:星、未来:力(補助;塔)でした。
コレポンしてみる。
 過去:一人暮らしをはじめる前は、すきなことにだけお金を使えていたので愚者。自由のカード。
 現在:毎日楽しくて、やりたいことがどんどん出てくるし、会いたい人もたくさん。希望やネットワークのカード。
 未来:力は、信頼やコントロールのカード。
     補助は塔で、今までのやり方を壊す、衝撃、解放、脱皮というカード。
今までやっていなかった方法でお金を貯めるってことかな・・・じゃあ先取り貯金したらいいのでは!ということに!!
それは半分冗談ですが。今お金がないと感じていてちょっと嫌な気持ちで過ごしている原因は、やりたいことが増えて、お金が必要になっているからだと気づく。それだけで、すこし安心。
じゃあこれからやりたいことをやるために、それ以外のところは我慢しようとか、計画的にバイトを入れたりして収入を増やそうとか、そういう方向に考えを持って行くことができた。
これ、「星」のカードが出たからだもんなあ。すごいよ思考タロット!

米光さんは、何かうまくいかないときというのは、視野が狭まっているときだと言う。
そういうときにタロットを一枚引いてみて、そのタロットの視点で物事を考えてみる。
「気づく」こと、「思い当たる」こと、つまりちがう視点を得ることが大事。

前に米光さんに思考タロットをやってもらったとき、
「過去の意味づけ、現在の納得、未来への安心」
とツイートした。この気持ちはイベントを通してより強くなった。
自分の思考にタロットという「他者」が入ってくる感じは、すごくおもしろい!
この「おもしろがる」感じが実は大事なのではないかと思っている。

こんなにも自分が思考タロットすげーー!ってなるのは、
「自分の中に大いなる自己を感じること」
という、指導教官の先生(ブログに何度出てくるのでしょうw)の言葉を意識してこの一年半過ごしてきたからかもしれない。
自分の中に、本当のことを知っている別の自己の存在があって、何かあったときにはその人に話しかける。
その自己は自分であり、他者。
何かよくないことがあったときでも、それは「学びのチャンス」として、自分の人生に生かせないか考える。
この考え方をするようになってから、イライラしてどうしようもない!みたいなことが少し減ってきたのは本当。だって、起こることぜんぶが自分に学びを与えてくれる。
もちろん、すぐにそう思えないこともたくさんあるけれど。過去を振り返ってあのときはああだったのかもしれないな、と思うことが増えるほど、ああいつかこの嫌な気持ちも学びに変わるんだろうな、と思えている。
この考え方は、「すべてのことには意味がある」!
あ、思考タロットと通じている!だから、こんなにすんなり受け入れられるのかもしれない!と今夜ふたたび思い当っているわたしです。

自分の師匠には名前をつけて、話しかける(つまり、その師匠のカードがもつ視点で、物事を見てみる)と良いとのこと。
わたしの師匠は教皇なので「コウちゃん」と名づけて話しかけることにする。
イメージ人物がいたほうが楽しいから、コウちゃんを俳優さんに当てはめてみることに。
教皇のカードはおじいちゃん属性のカードというので、リリー・フランキーにしようかと思ったのだけれど、「それだめ!伝統や倫理からからむしろ外れるから!ほかの人に!」と帰りの電車で友達に言われたのでした。

それから、イベントの日から毎日「一枚引き」をして、「今日の師匠」を決めている。
ちなみに二日連続で「愚者」をひいたよ!昨日は「塔」、今日は「魔術師」!
自分のこれまでの人生を思考タロットで見つめてみる、という宿題も出ていたのでやってみたところ、これがもう!驚きの結果に!!
これについては、また次の機会に書きます。


あっという間のイベント三時間!
米光さん、スタッフの皆さん、本当にお疲れさまでした☆

2013年9月22日日曜日

まっすぐに生きる

市立図書館に本を借りに行ったら、返却期限が10月になっていて。
あと2週間で10月になるのだなあと驚くやらしみじみするやら。
まだ9月9日くらいのきぶん。

昼間は暑くても夜は羽織るものが必要になったりして、
少しずつ秋になっていくのだと感じている。
秋は、いちばん好きな季節。秋晴れの空がだいすき。


実家に帰るたびに、妹が録画してくれている「あまちゃん」を見ている。
9月3日放送分から2週間ぶんくらいまとめて見た。たくさん笑ってたくさん泣いた。
前にみたときに、アキちゃんが「生きてる限り大事じゃねえ時期なんてねえし」と言っていたのが忘れられない。

昨日は、星野源さんのMV「地獄でなぜ悪い」http://www.youtube.com/watch?v=oZE9IDY2IXM
を見て、最後の部分でまた泣いた。
今年に入ってからのいくつかの出会いとさよならといい、9月頭にやっと見た「風立ちぬ」といい、「生きる」ということを考えざるをえない。
今ここに生きているということ。

いろんなことがうまくできなくて、ああもう!と思うことはあるし、
やるべきことを後回し後回しにして、でもあれもこれもやりたいなあ、なんて口ばかりの自分が大嫌いになることもあるけど、
でもやっぱりわたしはわたしを生きていかなければいけないのだと改めて思っている。

自分にしかできないこと、をずっと考え続けてきたけれど、
それよりも、自分がやりたいことを大事にしていきたいと思うようになった。
自分にしかできないことを見つけること、何かを続けること、守ること、まっすぐに生きること。
そのどれもが、尊い。


友達が「夏が大好きで嫌い」と言っていたのを、この夏ずっと覚えていた。

いつだって始まれば終わる夏だからはじめから大好きで嫌いだ

2013年7月27日土曜日

東京タワーも見える











東京タワーのことをこんなに考えるようになったのは、スカイツリーが建てはじめられてから、かもしれない。
何度も行ったことのある思い出の場所、というわけではない。むしろ、数えるくらいしか行ったことはない。
でも、なんてことなくタイミングというものは重なるんだなあ、と思う。

5月末、森美術館に行って「LOVE展」を見てきた。
実は森美術館に行くのははじめてで、入り口がわからなくてうろうろして、オフィスビル的なところに迷い込んだりしたけれど、何とか入り口の方向を見つけて歩きはじめたところでふと、東京タワーを見つけた。
まさか見えると思っていなくて、おどろいた。でも、美術館に早く入りたかったので、一枚写真を撮って美術館へ向かった。

前に家族で東京タワーに行ったときは、たしか、知らない地下鉄の駅で降りて、東京タワーにのぼって、そのあと歩いて麻布十番に行ったような気がする。家から六本木、家から麻布十番、はiPhoneで調べてひとりで行くことができるけれど、駅の位置関係はいまだによくわからない。

美術館をじっくりゆっくり見て、外に出るともう真っ暗だった。
スタバでお茶をしてから、駅へ向かう。
その途中で、東京タワーが見える場所で立ち止まり、iPhoneで何枚も写真を撮った。

美術館へ行った日よりもっと前に、友達と会うために川崎へ行った。
土曜日の集中講義のあと、一時間だけでもいいから会いたい、と電車に飛び乗った。
毎日のように会って、くだらないことをして遊んだ友達が、新しい場所で働いたり研究したりして頑張っているのだなあと、4人で一緒にお好み焼きを食べながら思った。
そのあと、友達の家の近所の本屋さんで本を見て、車を借りてドライブをした。
はじめは工場地帯を見に行くだけの予定が、そのまま帰るのが惜しくなって、羽田空港まで行った。
夜の空港が、すきになった。
友達はいつの間にか運転がうまくなっていて、いつの間にか将来のことを決めていて、そんなふうに、ひとは変わっていくんだなあと思いながら、びゅんびゅんかわっていく景色を後部座席からながめていた。
東京駅まで送ってくれるなんて、社会人みたいだ。

高速道路を走っていると、急に、赤い、東京タワーが見えた。
写真を撮ろうとしたけれど、車からはうまく撮れない。
でも、それより、東京が近づいているということがかなしかった。
また、しばらく会えなくなる。


そんなことを思い出しながら、東京タワーの写真を撮った。今度は、ぶれない。何枚も撮る。
東京タワーが見えるような場所に、ぱっと電車に乗って来られるようになったんだなあとしみじみした。

LOVE展には、ルネ・マグリットの「恋人たち」があった。
そして今、美術館では買わなかった展示の図録が、うちにある。
友達が、職場の人からもらってきてくれた。
導かれるようにして人生は進んで行くのだと、改めて感じている。



安っぽい宝石ばらまいたみたいだ夜の工場地帯を走る

口数が少なくなってさよならが近づく 東京タワーも見える 

2013年7月17日水曜日

「もうそろそろ世界には慣れましたか?」

22歳から23歳になることを意識したとき、読んでいた本は柴崎友香『フルタイムライフ』(河出文庫)だった。
一時期、あまり本を買わないようにしていたのだけれど、文庫の表紙が今日マチ子さんだったこと、文庫の解説が、山崎ナオコーラさんだったこと、柴崎さんの名前を俳句関係の雑誌で見たことがあったこと(確認したら東京マッハメンバーの「ジョジョ句会」でした)など、いろんなことが重なって、買ったことを覚えている。
山崎ナオコーラさんの解説の題名が、「もうそろそろ世界には慣れましたか?」だった。

偶然にも、主人公は新入社員なので、22歳から23歳になるところ。
関西の言葉の感じが、とても心地よかった。
何ヶ月か前に買ったこの本を、誕生日近くになって読み返して、ああ出会ってよかったなあと改めて思ったりしている。


わたしは今、ふしぎな時間を生きている。
高校に入って、大学に入って、大学を卒業したら先生になって、と、ずっと思ってきた。小学生のころからずっと。今、大学を卒業したけれど、先生にはなっていない。まだ、学生をしている。

大学に入ったころは、大学院に進むことや、ひとり暮らしをすることや、お酒って楽しいってことは、全然考えていなかった。23歳は、先生をしていると思っていたから、今とてもふしぎな気分だ。特に、大学の同期の仲良しの子が働きはじめて、社会人になっているのを見てるから、余計にそう思うのかもしれない。
これから、わたしはどうやって暮らしていくんだろう。

大学院の指導教官の先生が、ゼミで、
「今自分が大事にしているものや価値観は、自分ひとりで獲得してきたわけではないはず」
と言っていて、本当にそうだと思った。

勉強するときのテキストの位置や、人は急に変われないんだということや、正義感をふりかざすことは必ずしも正しいとは言えないだろうということ、書くことは楽しいということ、あえてずらして考えてみる余裕をもつこと。
そういうことを、教えてくれたひとのことを思い出す。


ひとり暮らしをするようになって、家でやっていたことをたくさん思い出す。
お米をといだら少し水にひたしておいたほうがおいしくなるとか、
洗濯ものは干すときにたたくと乾いてしわにならないとか、
そういうことぜんぶ、わたしひとりで身につけたものではないんだなあ、と思う。
心からありがとう!とまだ言えるわけではないけれど、そうやって見についてきたということは、自覚していい気がする。
自覚できる、ときが来たのと思う。ひとり暮らしをはじめてよかった。


いろいろな人との関わりの中で、わたしはわたしになってきたのだなあ、と感じている。
23歳のあいだに、どんな人と出会うだろう。
昨日と今日はつながっている。
でも、いつも新しいものを見つけてわくわくしていたい。

2013年7月14日日曜日

タオルケットを押入から出す

畳の部屋で、クーラーをかけている。
夏になると、ベッドではなくて布団で寝るようになるのはもう何年も続いている習慣。

昼間のことが、嘘だったんじゃないかと思っている、今。
頑張ったと胸をはって言えるかというと、どうもそんなわけにはいかない。
それは、自分が一番よくわかっている。

結果はともかく、また、ここからスタートするしかないのだ。
すべてはここから。


最近、暮らすということにとても興味がある。
食べる、寝る、掃除する、洗う、片づける、ごろごろする、選ぶ。
少しずつ、いろんなことが変わっていくんだと思う。
自分にしかわからないことが、増えたり減ったりするのがおもしろい。
誰かと暮らしてみたい、とはあまり思わないけど、誰かの暮らしに飛びこんでみたいとは思う。


明日はたぶん、ふつうの一日、でも気持ち次第で特別な一日になる気がする。


2013年6月7日金曜日

変わらないと思っていたのだ、たぶん

パソコンを修理に出してしまったので、家の机はがらんとしている。
大学に入ったときに、買ってもらったパソコン。丸四年使って、画面がだめになってしまった。
重いから、せっかくだしもっと軽くて持ち運びやすいやつに買い換えたいなあと思って電気屋さんに行ったけど、パソコンって高いのね。
ネットで見てもよくわからないからお店に行ってみたけれど、行っただけでなんだか疲れてしまった。
とりあえず、直るかわからないけれど、修理に出すことにした。
壊れたままのパソコンが部屋にあるときは、何で壊れちゃったの!課題できないよ!もう!という気持ちでいたけれど、今は、無いから何とかしよう、という気持ちで過ごしている。

キーボードをたたいているとふしぎなもので、頭でうんうん考えることなしに、指が動いていく気がする。
デスクトップのキーボードは、厚みがあるからどうしてもミスタイプが多くなって、それもまた、なお。



どうでもいいことが書きたくて、でもそれはうまくいかない。
わたしは、言葉を信じきっていたのだなあ、と思う。
言葉は誰かの心に響くと思っていたし、誰かを動かせるかもしれないとも思っていた。
その誰か、は、書く前の瞬間の自分かもしれないし、将来の自分かもしれないし、別の誰かかもしれない。
今もその気持ちは変わらない。
でも、今の自分の言葉は、ぽわんとしている。
ふわふわ浮かんで、自分にはね返ってくることもなくて、ただ消えていってしまう気がする。

それは、名づけることのできない、どうしようもない気持ちに、支配されているからかもしれない。
支配、なんてつよい言葉をつかってしまうくらいに。


誰かに話したいと思いながらも、土足でずかずか踏み込まれることがいちばん嫌だ。
自分が傷つかないように、とても慎重に、何事もなかったふりをする。している、つもり。
だから、今なら大丈夫、と思ったら、ばーんと全体重を預けて飛び込んでしまう。
ごめんね、ありがとう。


変わらないと思っていたのだ、たぶん。
いつかはそうなるってどこかでわかっていたけれど、こんなに早いと思わなかった。
どうしてどうして、と考えることもある。考えてばかりいる。それは何の役にも立たないってことも知っている。
でも、だからといって、なかったことにはできない。
役に立つとか利益とか、そういう問題じゃない。実際に計れないものなんて、いくらだってあるのだ。
今ここにある、ということ。たしかにそこにあった、ということ。それを大事にする。守る。


今は、とにかく、毎日きちんと食べて、きちんと眠って、日々を過ごしていくこと。
自分の気持ちがわからなくなるまで、嘘を重ねないこと。
たまに散歩をして、ああ今日もいい天気だな、と思う感覚を忘れないこと。


それから、それから。

2013年5月23日木曜日

目的地まであと十五分 

目的地まであと十五分

地下鉄がすきです 電波が入らないこととかホームのタイルの目とか
中指のささくれをむしる血がにじむ痛かったなら生きてる証拠
もう君に会うことのないスカートはクリーニングに出してきました
思い出を受けとめすぎたせいでしょう 黄色い傘は折れてしまった
会えなくてさびしい 会ったあともっとさびしいなんて知らなかったの


『うたつかい』2月号に出した五首です。
『うたつかい』( http://www.utatsukai.com/ )とは、「twitterで短歌を詠む、twitter歌人さんの作品中心のzine。」です。(『うたつかい』webより引用)2011年9月創刊。

実は、うたつかいに投稿したのはこれが初めてです。
いつも読んでいる冊子に自分の短歌が載っているのは、ふしぎな気持ち。
最近twitterで感想を書いていただいたのが、すごくうれしかったです。


いろんなことを考えてしまって、ぜんぶ投げ出してしまいたいときもあるけれど、やっぱり、短歌すきだなあ、と思う今日このごろです。

2013年4月19日金曜日

グレーよりもグレー

昔、ケンタッキーは、おばさんが家に遊びに来るときに買ってくるときしか、食べられなかった。
家族はみんな喜んだけど、わたしは骨つきのチキンが苦手で、いつもじょうずに食べられなかった。
今は、170円という値段で骨なしのチキンが買えて、すきなときに食べられる。


お気に入りのグレーのジャケットがないことに気づいたのは電車の中で、もうすぐで目的地、時間はぎりぎりのところだった。すぐに引き返すこともできなかったので、ぐるぐると記憶をたどり、たぶん本屋に寄ったときに落としたんだろう、というところまでは推測した。
大きなショッピングセンターの中の本屋さんは、通学定期があるときは本当によく寄っていた。大きな本屋さんに行くと、いつだってわくわくする。
ショッピングセンターのインフォメーションセンターに電話をして、忘れ物が届いていないか聞く。
忘れ物の特徴を聞かれ、グレーのジャケットで、ボタンがたくさんついている、ということしか言えなかった。
まだ届いていないようで、見つかったら電話をすると言われた。

そのジャケットは、はずかしいくらい全然高価なものではなくて、何年か前に、地元のお店のセールで売れ残っていたものだ。
色違いのベージュと迷っていたら母親に、春だから明るい色のほうがいい、と言われて、ベージュのほうを買った。
でも、どうしても忘れられなくて、後日、グレーのほうも買いに行ったのだ。
(両方買えるくらい、本当に安かった。たぶん元値の半額以下で売っていたんだと思う)
それ以来、ワンピースのときもデニムのときも、本当によく着ている。

本屋に行くとき、わたしは大きなボストンバッグとショルダーバッグを持っていた。少し歩くと暑くなって、ぬいだジャケットをボストンバッグにひょいと乗せて歩いてしまったのだ。
ああ、戻って来なかったらどうしようどうしよう、あんなにすきだったのに。
でも、自分の不注意が原因だから誰も責められず、とてもかなしかった。電話もない。

ショッピングセンターの最寄りの駅にも何回も電話して、警察署のホームページも検索して、それでも見つからなかった。もう無いかもしれないな、と思ったけれど、どうしてもあきらめられなくて、もう一度ショッピングセンターに電話した。
そうしたら。
あったのだ。やはり本屋に落ちていたそうで、ショッピングセンターで預かってくれていた。
取りに来るのは後日でもかまわない、と言われたけれど、わたしはすぐに取りに行くことにした。
片道一時間以上かけて、グレーのジャケットに会いに行った。
見つかって安心したらお腹がすいて、ケンタッキーを一つ買って食べた。


無かったらどうしよう、と思っていたけれど、心のどこかではきっと見つかると思っていたのだと、あとから気づいた。見つかるところしか、イメージできなかったのだ。
もちろん、自分のいいように解釈しているといえばそうなのだけど、なるべくしてなった結果のような気がする。
具体的にイメージできることは実現する、と指導教員の先生はよく言うけれど、本当にそうだと思う。

決して、時間があるとは言えないこの時期に、わたしは何をやっているんだろうとも思うけれど、こだわってよかったな。見つかってよかった。
今、グレーのジャケットは、わたしの部屋のハンガーにかけられて、おとなしくしている。

2013年4月1日月曜日

新しいことをはじめましょう




ブログ、を書くのが久しぶりで、とてもどきどきしています。
こんばんは、泉かなえです。
まだ少し寒いですが、4月だし、桜も咲いているし、何か新しいことを!というわけで、ブログをはじめます。

これは突然思い立ったわけではなくて。
少し前から、なかなか言葉が出なくなっていました。短歌も、俳句も、日記も。
このままじゃ、何かいやだ!と思って、高校生のころに書いていた文章を久しぶりに読み返しました。
部活帰りの電車でぽちぽちと携帯で書いては、ブログに載せていたことを思い出しました。
うまいとか、よくわかるとか、そういうことではなく、他者を想定して書くこと、書く意識で毎日を過ごすこと。
そんなふうに、また過ごしてみたいと思うようになりました。

とにかく、難しいことは抜きにして、まずは書いてみようと思います。
これからどうぞ、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。