2013年10月14日月曜日

きみどりいろに胸が苦しくなる

昼間は暖かくても、夕方から夜にかけて急に秋になるから、出かけるときはカーディガンがあると安心。
昨日会った友達は、15%はもう冬の気分、と言っていた。冬によく聴くアルバムが何だかなじんできた、と言っていた。土鍋の話をした。



昨日は、その友達の写真展に行った。
民家をそのままカフェにしているお店のなかに、写真がたくさん。
玄関にも、廊下にも、部屋のなかにも。アップライトのピアノの側面や、障子や、エアコンのすぐ隣にも。
わら半紙みたいな紙に書かれたキャプションがすごくよくて、何度も読んだ。
いちじくのタルトを食べて、コーヒーを飲む。
向かいの席で体育座りをしている友達は、ひとりで家にいるときみたいだった(正確には、ひとりで家にいるときの友達は見たことがないからわからない)冬っぽいトレーナーを着ていたからかもしれない。だらっとした雰囲気のなかに、細い糸が見える。繊細と緊張。目の前にいるのに、近づいたり遠くに行ったり。

わたしは、京都のバスで窓のサッシにひじをついている前の席の人を撮った写真がすきだった。
京都のバスに乗ると、歩いている人がよく見える。路線図を見るのも、運転手さんのアナウンスを聞くのもすきだ。

その三つ隣には、京都駅のバスターミナルのところの写真。京都駅に着いて、あの場所で京都タワーを見ると、来たぜ京都!という気持ちになる。
写真では何人かの男子と女子が話していて、その周りにも歩いている人がたくさん写っている。
その写真を見たときに、京都のことをぐわっと思い出した。
中学の修学旅行で行った京都、
沖縄に行くはずだったのに台風で飛行機が欠航して、「よし、京都行こう」と新幹線の切符だけ取って家族で向かった京都、
大学二年の冬に、友達と二人旅をした京都、
高瀬川沿いをはじめて歩いた京都、
ひとりで夜行バスの出発時間を待つ京都。

京都はわたしにとって、何かをしに行く場所であり、誰かに会いに行く場所だ。
この前行ったとき、京都駅で急にさびしくなったのは、この中にわたしが知っている人は一人もいないのだと思ったからだ。
京都駅は、待ち合わせをしたり、お土産を一緒に選んだり、またねと言い合ったりしている人がたくさんいる。
楽しい場所だけど、さびしくて苦しくなる場所でもある。認める。


そんなことを、写真をながめながら考えていた。
友達には、言わなかった。
まだ会期はあるので、今度は晴れた午後に行こうと思う。光の射しこんだ部屋が見たい。

今日は電車で、キリンジのベストアルバムを聴いている。
キリンジは冬の音に聴こえる。
きっと、あっという間に冬が来る。


2 件のコメント:

  1. Kanakoさん、京都のこと、私もぐわっと思い出しました。
    中学の修学旅行・・・私の時代は新幹線がまだなくて、夜行列車「日の出」で行きました。
    夜中に初めて友だちと騒げるのが、なんかスリリングで。

    だーっと時間がたって、大学卒業後2年目くらいかな、「好きな人」だと思っていた人と二人、竹で囲まれた道を歩いたり、ひなびたお寺を訪ねたり、水上の安宿に泊まったりというセンチメンタル・ジャーニーしましたよ。 もちろんというか、その人とはその後ほどなくして別れました。

    37歳のころ、父が亡くなって、真冬に母と一緒に銀閣寺から哲学の道を歩き、詩仙堂に寄ったり。とにかく寒かった!

    その後、待望の大原へ旅したのは、同年代の中国系アメリカ人の友人と。 炬燵のある豆腐鍋屋さんが楽しかった。今秋、浸水の被害に遭ったあたりですね。 彼女とは気が合ったのに、私の強すぎる自我ゆえに口をきかないほどのケンカ別れをしてしまった。 
    どうも京都は私には鬼門のようです。
    ひとつくらい、いい思い出を作りたいですね。  (ジョジョ)

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    1. コメント、ありがとうございます。
      いくつかの京都の思い出、聞けてうれしいです。
      9月の旅行で、初めて詩仙堂に行きました。京都に着いたときからあいにくの雨。でも、詩仙堂ではその雨音がむしろ心地よかったです。
      夜行列車はいつか乗ってみたいもののひとつです。誰か、大切な人と。

      今、泉かなえという名前で短歌をつくったりここに文章を書いたりしています。
      もしよければ、また遊びに来てください。

      泉かなえ拝

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