2013年10月16日水曜日

きらきらと、残像

寒くなってきたので、半身浴をした。
何もしないで入っているのは飽きてしまうので、江國香織『東京タワー』の文庫本を持って入る。
カバーははずして、すこしずつ読む。

江國香織をよく読んでいたのは、12歳から14歳くらいのころだ。
中学に入ったばかりのときに、国語の先生が授業中に「デューク」を読んでくれた。
そのあと、近くの図書館で江國香織の本を片っ端から読んでいった。
図書館や本屋にある、いわゆる子ども向け本コーナーに行くのが嫌だったわたしにとって、江國香織は精いっぱい背伸びができる本だった。
どの本がどんな内容だったのか、実はあまり覚えていない。
覚えているのは、読んだあとの、ふしぎな後味だけだ。
自分の暮らしを、遠くから見ているような感覚。

高校に入ったころから、あまり江國香織を読まなくなった。
引越しをするときも、江國香織の本は実家から一冊も持って来なかった。
今部屋にある『東京タワー』の文庫は、友達が自分の本を売っているときに買ったものだ。

『東京タワー』はまだ半分も読んでいないけれど、すでに東京タワーが何回か出てくる。
東京タワーの見える暮らし、だ。
それを読んで、学生時代をどこで過ごすのかということは、わりと重要なことだと改めて思った。
高校時代、朝も昼休みも放課後も部活のことを考えていて、テスト期間で部活が休みになれば勉強をして、部活を引退した高2の春休みからは受験勉強をして、という生活だった。
図書館で本を借りたり、本屋さんのなかにあるカフェでお茶を飲んだり、帰りに友達とたこ焼きを食べたりと、いちおう楽しく過ごしてはいたけれど、基本的には、縛られた生活だと思っていた。
なんていうか、自分の選べることが少ない。
新宿のイベントに行きたくて、親に言うと心配するから(心配性の親だった)お小遣いがほしいとも言えなくて、何ヶ月も前から計画を立てて、こっそり行ったのを覚えている。
大学に入ってから、学校帰りに喫茶店でひとりでコーヒーを飲んでいたという友達や、部活帰りによく映画を見たりDVDを借りて帰っていたという先輩に出会った。
そういう人とは、暮らしてきた時間や生活が全然違うのだなあ、とぼんやり思っている。
それは良い悪いということではなく、仕方のないことなのだけれど、そういう過去の積み重ねを抜きにして、本を読んでいないとか映画を見ていないとか、いろいろと言うことはできないのだと思う。

いろいろなことが選べなかった高校時代は終わり、選択肢は増えている。今。
やりたいことぜんぶやる!というわけにはいかず、選びとっていかなければいけない。
一区切りの場所が決まったからこそ、そこに向かって、進んで行かなくては、と思っている。


きらきらとひかる渋谷も誰かにはかなしい場所であるのでしょうか

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